おはようございます。今回も親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」について、お話を進めて参りたいと思います。
ところで、今回の御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」に込められた願いを表すものとして、テーマソングが作られました。「今、いのちに目覚めるとき」と題されたその御遠忌テーマソングの1番を、ここで聴いてみましょう。
- 心が深く負う傷は すぐに癒えないけれど
- その悲しみの淵から 私に呼びかけるものがある
- あなたはあなたでよいのだと 気づいたときから生きられる
- このかけがえのない私に いのちが今、きらめく
これは、悲しみに打ちひしがれ、自分自身を見失うほどの心の傷を負った者が、如来のいのちの呼びかけによって、あるがままの自分に目覚めさせられるというものです。
私事になりますが、私には四人の子どもがいます。中の二人は双子です。双子の出産は実に大変なものでした。常に早産の危険を伴うため、妻は出産予定日よりかなり早い段階で入院することになりました。
その甲斐あって妻は早産にはならずに済みましたが、今度は出産の時期が来てもなかなか陣痛が起こりません。とうとう予定日の数日前に帝王切開となりました。生まれて来た子どもたちは体重も十分にあったので、NICUという新生児集中治療室に入る必要もありませんでした。様々な危険を乗り越えて、二人が無事に生まれて来たことを、私と妻は素直に喜んだのでした。
しかしそれは、すさまじい育児生活の始まりでもありました。私たちは愚痴を通り越して、悲痛な叫び声を上げながら、まさに戦争のような毎日を過ごしたのです。
一方病院の新生児集中治療室では、体重が少なく生まれた双子や三つ子の赤ちゃんたちが、保育器の中で懸命に生きようとしていました。妻の入院中に新生児のご両親が、心配そうに集中治療室の我が子を見つめておられる姿をよく目にしました。生まれた子どもをすぐに胸に抱くこともなく、自分たちの手ではどうにもできないもどかしさを感じながら、我が子のもとを訪ねておられたのだと思います。十分に育ってご両親のもとに帰っていく子どもたちがほとんどですが、なかには先天性の病気があったりして、赤ちゃんが亡くなってしまうケースもあるのです。
後に双子の一人が亡くなったというような話を耳にすると、どうにもやりきれない思いにかられました。そんな時、私たちが何を言っても慰めになりません。それどころか、双子を育てる私たちの存在が、意に反して子どもを亡くされたご両親の悲しみを、さらに増幅させてしまうかも知れません。私自身のはからいではどうにもできない悲しい現実がそこにありました。誠意や努力ということでは間に合わない、人間とはそうしたどうしようもない悲しみを生きなければならない存在であることを思い知りました。
育児で身心共に疲れきっていた私たちでしたが、ただこの現実を受け止めて、授かった二つの命を大切に育てていくしかありませんでした。双子は今幼稚園に通っています。まさに周りで起きた辛い出来事が、そのままに生きよという力となって、ここまで私たちを子育てに邁進させたと言うしかありません。そして、子どもを亡くされた方々が、その悲しい経験を御縁として、自らの歩みを確かなものへと転じていかれることを願わずにはおれません。