ラジオ放送「東本願寺の時間」

保々 眞量(熊本県光行寺)
第2話 「如来の悲しみ」~要求と欲望~ [2009.11.]音声を聞く

おはようございます。
前回は、人間は、他の生き物と違って、苦しみだけではなく、悩む存在であるというところに、その特徴があるということをお話しさせていただきました。
今日も、人間と他の生き物の違いから、どうして人間が如来によって悲しまれているのか、ということを考えてみたいと思います。
子どもの頃に見たテレビ番組で、ライオンが、キリンの群れを追いかけ、ついにそのうちの一頭を捕えて食べているシーンが流れました。生きたまま食い殺されていく様子も、初めて目にしましたから、子ども心にショックでしたが、さらに驚いたのは他のキリンたちが逃げるのを止めて、ライオンのすぐそばで水を飲んだり草を食べたりし始めたということでした。その時に、他のキリンたちが逃げるのを止めたのは、「もう襲われる心配がないからだ」という説明がありました。つまり、ライオンは、その日の食事は一頭のキリンだけで十分だから、もう他のキリンを襲ったりしないというのです。そういう意味では、野生のライオンの欲は、生命の要求とほとんど等しいのです。
ところが、ライオンが人間だったらどうでしょうか。目の前に獲物がまだいるのですから、明日の分も、あさっての分もと、取り尽くしてしまおうとするのではないでしょうか。その証拠に、人間は、お腹一杯でも好きな物が目の前にあると「これは別腹」と言って食べ過ぎたりします。人間は器用なことに、お腹一杯でも好きな物を食べたいと思うと、無理やり胃の中の食べ物を少しだけ腸の方に押しやることができるそうです。別腹って本当にできるのです。しかし、生命自体の要求としては、もう不必要なものですから、食べ過ぎによって身体を壊していきます。人間の欲は、生命の要求よりも大きいのです。しかも欲しいものを手にすれば手にするほど、欲も成長するのです。
いつの頃からか「あなたの欲しいものは何ですか?」と問われると、「お金」と答える方が老若男女問わず、増えてきていると聞いたことがあります。私が子どもの頃には、その問いに「お金」と答えられる方はほとんどおられませんでした。以前は今以上にお金に困っていたことも多かったし、お金が欲しいという気持ちもあったはずです。しかし「お金が欲しい」と口にすることは、恥ずかしいとか、はしたない、という思いがあったのと、欲というものに近づくことの危うさを承知されていたのではないでしょうか。
ところが現代は、多くの人が、あらゆるモノに囲まれ、必要な物はほとんど揃っている生活をしている時代です。そのままでは、モノが売れないし、お金が回らない。そうすると景気も良くならない。だから政治も経済も、どう人間の欲を刺激して、もっとお金を使ってもらうかということに躍起になっているように感じます。欲望が歓迎される時代とも言えます。ですから、欲というものを危ないものだと考えなくなってきているのではないでしょうか。
昔が良かった、とか、昔に戻ろう、ということを言っているのではありません。現代の大きな問題として、いかに欲を肥大化させ、その欲を利用する形で世の中が回っているかということがあります。そして、その肥大化した欲望によって、人間の幸せを求めてやってきたはずのことが、いよいよ地球そのものの滅亡を早めています。
人間の欲望は、わが身を満足させようとして、生命の要求以上に求めていくのですが、皮肉なことに、その欲望が自分の身体を壊し、この地球をも破壊し尽くしてしまうあり方をしているように思います。
今、もう一度、人間であることの問題に向かい合うのか、それとも滅亡へと突き進み続けるのか、大きな岐路に立っていると思います。

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