ラジオ放送「東本願寺の時間」

直林 真 (石川県 仰信寺)
第4回 共に生きる [2010.6.]音声を聞く

 おはようございます。直林です。今朝もよろしくお願いします。
 前回は仏様の光のはたらきによって、私たち人間のもつ深い闇は破られていくというお話をさせていただいたかと思います。
 私がまだ二十代の頃、大正生まれのかたからよくお聴きしたお話のなかで、その方が若い頃、「法話にこられる先生はその説かれることについて、わかったと応(こた)えても叱れ、わからないと応えてもまた叱られたものだ」という事をいっておられました。私は「何とまあ、昔の先生のなかにはやっかいな人もおられたんだなあ、わかったような、わからないようなお話でしたと応えればいいのかなあ」という程度の感想しかもっていませんでした。
 それから二十年近くたっても、おそらくは明治生まれのその先生の真意は正確には理解することはできませんが、仏様の教えを聞き学んでいくうえで、重要な問いかけをしておられると考えるようになりました。
 法話を聞いてわかったとか わからないという事は誰が決めるのでしょうか?
 この私自身の思いが満足するか、しないかを基準にきめるのであれば、浄土真宗の教えを聞きまなんでゆくということにはならないのではないでしょうか?
 親鸞聖人は三十代の頃にある事件に遭遇され、京都から越後の国、いまの新潟県に流されるという事がありました。「流罪(るざい)」といって、江戸時代でいうと島流しのようなことにあわれました。一面、大変悲しい事に思われますが、実はその流罪こそ親鸞聖人にとって重要な転機となられたのです。
 それまでの親鸞聖人は、教えを学びながらも、一般の人たちが読むことのできないお経を読み、明日の生活に困るということのないくらしを送っていたと推察されます。
 しかし、越後の地で出遇われた方々はそれまで親鸞聖人が京都で接しておられたような人々とはちがって、文字の読み書きも満足にできず、その日その日の生活をしておられる人々でした。
 阿弥陀如来のはたらきは、すべての人を救いとって見捨てないという約束をしておられます。
 それは文字の読み書きが出来て、仏教のお経の中身を読みこなせる人々だけが、救いの対象になるということではなく、文字ひとつわからない人々も同じく救われるということが約束されているからです。
 越後の地において、文字ひとつわからぬ方々を軽蔑することなく、先生の座にすわって無学の人達を教えなくてはならないという態度ではなく、共に本願念仏のみ教えをいただいていく、「ともに」という精神を失わなかったと思われるのです。
 私達はややもすれば、他人より多くお経の知識を学び、他人よりも優(すぐ)れた者になって初めて阿弥陀如来の救いというものを得られるのだと思いがちですが、実はそうではないのではないでしょうか。
 すべての人を救いとって捨てないというお約束は、この自分ひとりが救われれば良いということにはならないはずだからです。
 すべての人と共にそして同時に救われるということは、この私が気に入っている人、好きな人とだけというようなことではなく、私自身が嫌っている人、そしてまた私自身を嫌っている人とも、共に救われていくことだと理解させていただいています。
 浄土真宗の教えに聞き学び、浄土真宗に帰ってゆくのだといってみても、自分自身にとって都合の良いところだけを聞きとって、自分自身にとって都合の悪いところを、無視して消しさっていくということは、浄土真宗の名を借りた「自分教」というべきものを作り肥大化させていくということになると思います。
 親鸞聖人という方は最後の最後まで厳しくその事を吟味なさっていかれた方だと私は思います。

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