ラジオ放送「東本願寺の時間」

三島 清圓 (岐阜県 西念寺)
第1回 急げ急げ急げ [2010.7.]音声を聞く

 おはようございます。
 人が仏法に出遭うご縁はさまざまです。わたしの場合は父の死でした。
 父はわたしの二十五歳の時に亡くなりました。実家のある飛騨高山のお寺で葬式を済ませて初七日が過ぎた頃、わたしは空しい気持ちを懐いたまま名古屋に帰りました。お寺の三男に生まれたわたしはその頃名古屋で会社勤めをしていたのです。葬式からしばらく経ったある日、市内を仕事で運転中に車の窓からどこかのお寺の屋根がチラッと見えました。それを見たとたん、わたしは矢も楯もたまらず本堂でお参りしたくなり、境内に車を止め誰もいない薄暗い本堂で手を合わせました。どのくらいそうしていたでしょうか。やがて帰ろうとして後ろを振り返ると本堂玄関の長押に「急げ、急げ、急げ」と墨汁で大きく書かれた額が目に止まりました。当時、仏教のことは何も知らなかったわたしは、お寺というのは心を静めるところではないか、それがこともあろうに「急げ」とはどういう意味なのだろうかと不審に思いました。しかしその文字をしばらく眺めているうちに「この世には急いで明らかにしなければならない大切なことがあるのだ」とその言葉が自分に問いかけているように感じられて来たのです。わたしは慌てて自分の中にその答えを見つけようとしました。そして自分がそれに答えるようなものを何も持っていない事に気づかされたのです。自分の人生の方向も定まらず、その時々のおもしろおかしい事だけに流されて日々暮らしている自分の姿がその「急げ」という文字からまざまざと照らし出されて来ました。恥ずかしいと感じると同時に身体の芯にぽっと火が付き、居ても立っても居れない気持ちになりました。浄土真宗では人生の一大事を「後生の一大事」と言います。後の生と書いて後生と読みます。そういう大きな問題にわたしはその時、出遭ったように思います。今、自分が僧侶になって人から後生とは何か?一大事とは何か?と問われる時があります。それに対してわたしは「自分に火が付いて居ても立ってもおれない気持ちにさせられる事だ」と答える以外にありません。
 さて、あれからもう何十年も経ちました。あの日からわたしは後生の一大事を問い続けて歩んで来たように思いますが、今振り返ると後生の一大事という言葉がわたしの前にではなく、返ってわたしの後ろにあって、なまくらな自分を前へ前へと押し出し続けて来たように感じています。
 後生の一大事とは自分の人生の一大事とは何かという問いかけですが、しかしこれはちょっと難しく聞こえるかも知れません。ではその言葉を「自分は何のために生まれて来たのだ」と言い換えたらどうでしょう。さらに言い換えて「せっかくの人生を無駄にするなよ」という阿弥陀如来の呼びかけと聞いたらどうでしょうか。こう考えてみますと後生の一大事とは自分を超えた大きな(いのち)からの問いかけであることに気づかされるのです。その問いかけに生涯をかけて応えなければならない大事な仕事が誰にでもあります。その仕事を後生の一大事と言うのです。
 この問題に老いも若きもありません。大分前になりますが、東本願寺の廊下に夏の子供会に参加した中学・高校生達の感想文が張り出してありました。その中に特に印象に残った文章がありました。記憶が定かではありませんが、それは「僕は生まれてはじめて本山に来て親鸞聖人の前に座りました。親鸞様が(お前はそれでいいのか?)と自分に問いかけているように感じました」というものでした。わたしはそれを読んで仏法に出遇うとは問いに出遇うことなのだとあらためて思いました。そして自分の中にあの日いただいた情熱が今もなお消えずに残っていることに感謝し、さらにこの中学生の将来を念じながら思わず大きな声で念仏申したことでした。

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