ラジオ放送「東本願寺の時間」

三島 清圓 (岐阜県 西念寺)
第4回 宗教と生活 [2010.8.]音声を聞く

 おはようございます。
 今日は妙好人・浅原才市さんを取り上げてみたいと思います。妙好人とはたとえば泥の中から美しい蓮が花咲くように念仏の教えに救われて行かれた人々のことを褒め讃えて妙好人と言うのであります。妙好人と呼ばれた才市さんは幕末に島根県で生まれ、家業の下駄造りの傍ら生涯一万首とも言いわれる歌を残されました。文字も正式に習うことのなかった才市さんですが、その歌を見ますとまことに自由自在で、仏も煩悩も一緒くたにしてただナムアミダブツであります。それでいてその言わんとするところが拙い文字を通してちゃんとこちらに伝わって来るのは不思議としか言えません。その才市さんの歌に(歩くのも、マンマ食べるのも、仕事をするのも、みなナムアミダブツ)というのがあります。これはまことに不思議な歌です。つまり才市さんの生活そのものがナムアミダブツの中に在ると言うか、ナムアミダブツの中で才市さんが生活していると言うか、とにかくそういうことを歌っているのであります。まことに素朴な歌ではありますが、よく考えるとこの歌にはわたし達が漠然と念仏に懐いているイメージを超えたものがあります。現代人にとってのナムアミダブツはどこか余所行きです。念仏と現実の生活は全く別物で、たとえ念仏することがあっても仏壇の前に座る時ぐらいに思われています。ところが才市さんのナムアミダブツは自分の生活全体を包む大きな世界がナムアミダブツであります。その世界とは一体どういう世界でしょうか。
 親鸞聖人は念仏者に開かれて来る広大な世界を光る海にたとえておられます。しかしその広々とした世界も親鸞聖人が出られるまではずい分狭く考えられていたのです。たとえば観念の念仏と言いまして仏のお姿を目の前にありありと思い浮かべたり、また座禅などして念仏のこころを悟ってから申すのが念仏であるなどと思われていたのでした。それはちらっとでも心が緩めばすぐ転げ落ちてしまうような一心不乱の念仏です。しかしこういう念仏は自分の泣いたり笑ったりするわたし達の煩悩に塗れた生活を捨てて行く方向の仏道でありました。ところが親鸞聖人のたどり着かれたのはただ口に申すばかりの念仏でした。それは念仏とは自分が仏に近づいて行く手段ではなくして仏の方からわたし達に近づいて来られる阿弥陀仏の呼び声であることに聖人は深く頷かれたからであります。自分のところまで届いていた仏の呼びかけに(ハイ)と応えるだけで聖人はもう充分だったのでしょう。その(ハイ)が聖人の「ただ念仏」という言葉です。我から仏ではなく仏から我へという大転換であります。それはわたし達の日常生活を捨てて行く仏道ではなく、仏の方がわたし達の生活にまで届いている仏道の発見でもありました。さて、このことをわたし達の生活に引き当ててみますとどういう事になるでしょうか。それはわたし達の泣いたり笑ったりする生活、つまりナムアミダブツとは程遠いように見える生活の場が実は仏のいのちのはたらいている現場であると言うことです。これは大変なことです。このように申しますと、今、ラジオをお聞きの方の中には毎日をもっと真面目に生活しなければならん、と思いの方も居られると思います。しかしそれでは才市さんのナムアミダブツの世界からまた外れて行く様に思うのです。(歩くのも、マンマ食べるのも、仕事するのもナムアミダブツ)というのはわたし達の生活、この泣いたり笑ったりする生活がそのままにしてナムアミダブツであるということです。世界的な宗教学者であった故鈴木大拙師は「どんなにじたばたしてもナムアミダブツの外には出れないんだから」と語られていました。わたし自身も今日一日どうやらじたばたして日を送ることでしょう。しかしそれもナムアミダブツのいのちに包まれていればこそのじたばたではないでしょうか。

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