ラジオ放送「東本願寺の時間」

佐藤 義成 (滋賀県 満德寺)
第2回 「今、勤められている、湖北の御仏事」 [2011.1.]音声を聞く

 おはようございます。2回目の話をさせていただきます。滋賀県長浜市の佐藤です。
 東本願寺を本山とする真宗大谷派は、全国に多くの教区があります。私はそのなかの一つ、長浜教区に属し、まわりを田んぼと畑で囲まれた30数戸の集落にすんでいます。現在は市町村合併で長浜市になりましたが、もとの地名は浅井町と申しました。浅井長政の居た小谷城の南の方向にあたります。長浜教区は、真宗大谷派のお寺が大変多い地域です。
 今朝の、テーマも「今、勤められている、湖北の御仏事」とさせていただきます。
 前回、京都の大火事で消失した東本願寺の建て直しが由来となった法要である「御越年法要」が、この地域で210年間勤められていることを聞いて頂きました。
 今日はそれに続いて、3年前のご越年法要のことについてお話したいと思います。
 それは湖北町田中という集落でお勤めいただいたときのことです。十数軒のご門徒が順にお宿を引き受けられました。責任者の方は、「私たちの集落で、このご越年法要をお受けするのは50年に一度のこと、数年前から準備をしてきました。老いも若きもみんなが一つになり、意欲的に取り組むことが出来て、大変有り難いことです。」と感想を述べられました。また、1月1日から3日までのお宿を引き受けられた50歳位の方は「毎年のまわりぼとけさんの法要は何回も遇わしてもらっているけど、御越年法要がこの田中で勤まったのは50年前で、私は覚えていない。この次の50年後の御越年法要にはもう私は遇えない。」と考えられて、役員の皆さんと相談の上、今までにないことを企画されました。それは、「子ども御越年法要」と名付けて、その集落の子どもたち18人を、1月1日に招待したのです。親鸞聖人のお造りになった正信偈のお勤めの後、その由来をその御主人が手作りの資料を用意して、説明されました。読みやすいようにと、すべての漢字にルビが打ってあります。一部分を紹介します。
 いつのことか、わかりませんが、私たちの住む田中に、ある話が残っています。
 江戸時代の天明の大火事で燃えてしまった本山、東本願寺の建て直し・再建にあたって、必要な木材が不足しているという話が伝わり、それではということで村一番の大きくて太い木を切り倒し、荷車に乗せて本山に届けました。普請場のお小屋(詰め所)に合宿しながら、再建を手伝っていた田中の人たちは、この木材がどこに使われるのかを気にしながら、見守っていましたが、いっこうに利用されることがありませんでした。しばらくしてから、ついに木が切られ始めたため、注意深く見ていると、小さく割られ、手伝いをしている人たちの暖を取るためのたきぎとなっていったのです。
 あわてた責任者は、急いで村に帰って、村人と相談をしました。苦労して届けた村一番の大きな木が薪に成ってしまうがどうしたものかと。ある人が「田中では村一番の木かも知れないが、本山へは全国から多くの良い木が集まっていて、あの木は普請の為の木材としてはあまり適していなかったのかもしれない。底冷えする寒い京都のこと、暖を取る為のたきぎとして役に立つだけでも有り難いことだ。手伝いに来ている人々の役に立つということは、ひいては本山の役に立つということである」と言い、村の人々の共感を得たとうことです。田中の責任者は、村の人々の寛い心に感心しながら本山に戻り、その後も再建に精を出したということです。
 その説明の後、その法要にお参りした子どもたちは、おとき・仏事の後のお食事で、手作りの精進料理を頂きました。お参りしたある少年は、「僕が年寄りになっても、次の人に大事なことを伝えていきたい」と感想を述べていたそうです。
 親鸞聖人のみ教えに、末永く出遇って欲しいという篤い願いが、御仏事・まさに仏さまのお仕事に込められているのですね。
 「まわりぼとけさん」・「乗如さん」あるいはその命日にちなんだ「二十二日講」と呼ばれる尊い御仏事が、今日も長浜教区の湖北のどこかの集落で勤められているのです。
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