ラジオ放送「東本願寺の時間」

佐藤 義成 (滋賀県 満德寺)
第3回 「近江人の物腰がいい」 [2011.1.]音声を聞く

 おはようございます。3回目の話をさせていただきます。滋賀県長浜市の佐藤です。
 今日のテーマは、「近江人の物腰がいい」とさせていただきます。近江というのは滋賀県のことです。なんだ自慢話かと思われてしまうかも知れませんが、どうぞ最後まで、おつき合い下さい。
 この「近江人の物腰がいい」という言葉は、司馬遼太郎さんの書かれた本に出てくる言葉です。朝日新聞出版の朝日文庫「街道をゆく」というシリーズの、24番目「近江散歩・奈良散歩」の11頁にその言葉が出てきます。
 続けて少し引用させていただきます。
 近江を語る場合、「近江門徒」という精神的な土壌をはずして論ずることはできない。門徒寺の数も多く、どの村も、真宗寺院特有の大屋根を聖堂のようにかこんで、家々の配置をきめている。この地では、むかしから五十戸ぐらいの門徒でりっぱな寺を維持してきたが、寺の作法と、講でのつきあい、さらに真宗の絶対他力の教義が、近江人のことばづかいや物腰を丁寧にしてきた。
 まず、ここまで引用させていただきます。
 「門徒」という言葉をたびたび使っていますが、その字は、出入りする「門」という字と学校の生徒の「徒」という字を書くのですが、特に真宗の信徒を意味します。また、「講」は学校の講義の講という字で、ご法事へのお参りのことや集まりのことを意味します。
 この本に書いてあるとおり、特に湖北地方では真宗のお寺が、それも大谷派のお寺が多く存在します。と言うことは一つのお寺に属するご門徒さんの戸数が少なく、平均すれば30戸もありません。お寺だけの収入だけでは、家族の生活が成り立ちませんから、ほかの職業をしながら、また、夫婦で共働きをしている場合も多く見受けられます。
 ご門徒数が少ないということは、ご門徒さんがお寺の行事やご法事に深く関わっておられることを意味します。
 司馬遼太郎さんの文章に「寺の作法とお講でのつきあい」とあります。これについて、私の近くに住職が亡くなられたお寺があり、数年前に別の地域から、若い夫婦が住職夫婦として入られたのですが、いろいろと、とまどわれたことを聞かせていただきました。
 お寺に入って問もない時、ご門徒さんが、本堂に上がってこられて、まず小さな紙に包んであるものをポイと置いて、ご本尊に向かって合掌された。住職のその方がすぐ横にいることはわかっておられるのに、その動作をされたので、その時、自分が無視されたと思ったそうです。その紙に包んであるものはいったい何なのか、それをどうしたらよいのか解らなかった。と、お話しをされました。
 この作法は私たちの地域では、法事参りや親類宅への訪問の際の、ごく自然な作法なのです。包んであるものというのは「お賽銭」で、お金を半紙に包んで、ほぼ4センチ×10センチの大きさにたたみます。
 そして、まず最初に阿弥陀如来・ご本尊に合掌・ご挨拶をしてから、その後に住職あるいはその家の方にご挨拶をされます。
 また、この地域では、赤ちゃんが生まれたときに、「赤ちゃん(昔は「ななちゃん」と言いましたが)赤ちゃんをもろうた」と言います。ほかの地域から来られて、お産をされた方に「お宅、赤ちゃんをもらわはったんやて?」と近所の方が祝福の挨拶のつもりで言われると、その方は「いいえ、産みました」と返事されたそうです。
 この「赤ちゃんをもらった」という表現は、すべてのいのちは知来より賜った・授かった・もらったいのちであることを表す大切な表現でしょう。このことを忘れてしまうことにより、自他ともに軽んじたり、虐待やいじめ、ついには、自殺などの悲しいことにも至ることになるのでしょう。
 今年となりました、宗祖親鷲聖人750回御遠忌のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」です。このテーマは、現代のさまざまな問題の原点ともいえる、いのちの私有化、そのことを私たちに気付かせる、大切な言葉だと思います。

第1回第2回第3回第4回第5回第6回