ラジオ放送「東本願寺の時間」

園村 義成 (青森県 來生寺)
第3回 「大切な言葉」 [2011.2.]音声を聞く

 おはようございます。
 私たちは、日頃から様々な言葉を耳にしています。そんな言葉の中でも、忘れることの出来ない大切な言葉というものが、誰にでもあるのではないでしょうか。
 今朝は、私自身が出会った大切な言葉についてお話させていただきます。
 それは、平成4年の秋のことでした。当時教員をしていた私は、実家のお寺で営まれる報恩講という行事を手伝うために帰省していました。
 この報恩講という行事は、浄土真宗のみ教えを私たちに開いてくださった、宗祖親鸞聖人のお亡くなりになられたご命日を機縁として、聖人の90年のご生涯を偲び、そのご恩を讃え、そのご恩に報いるために勤められる法要のことを言います。私の実家では当時5日間の日程で報恩講を勤めておりました。最終日の法要が終わった後に住職からお参りなされた方々に御礼の言葉を申し上げるのですが、その際、決まって住職であった父親が口にする言葉がありました。それは「来年の報恩講をも期し難き身」という言葉でした。
 この言葉は「来年の報恩講にお参りできるかできないかわからない、はかないいのちを生きている。」という意味です。この言葉は、宗祖親鸞聖人から数えて本願寺第八代の蓮如上人という方がお書きになられたお手紙で「御文」または「御文章」と呼ばれるものの中で、特に報恩講の時にだけ読まれる御文に出てくる言葉であります。毎年のようにその言葉を口にしている父に、私はつい「いつも同じことばかり言っていて、聞いている人達もまたかと思っているのではないか」ということを父に話しました。私の言葉を聞いた父は「お前はまったく分かっていない」と父としては珍しく激しい口調で私を叱りつけました。当時の私は、住職としての父親の思いや願いなど知る好もありませんでした。
 その後父は、報恩講の行事を終えて間もなく、以前に患った脳の腫瘍が再び悪化して、あくる年の5月に亡くなりました。その後お寺を継いだ兄も7年前に亡くなりました。私が住職となり昨年の11月で7回目の報恩講を勤めさせていただきましたが、今になって父親が決まって毎年口にしていた「来年の報恩講をも期し難き身」という言葉が、年をおうごとに深く私の胸に響いてきます。
 大病からリハビリを経て復帰をとげた父は、身をもって来年の報恩講にお参りさせてもらうことがいかに難しいことであるか。そして、その難しい中で今年もいのち永らえて、ともに報恩講にお参り出来たことが、どれほど尊いことであるか。ということを言わんとしていたのだと思います。私たちは、自分の置かれている環境や境遇に不満をいだくとき、「明日がある」「来年こそは」という言葉で自分自身を慰め、現実から眼をそらそうとしてはいないでしょうか。しかし、明日という時間も、来年という年も必ずわが身に訪れるものではなかったということが実感された時、それまで自分を慰め励ましていてはずの言葉がいかに空しいものであったかが思い知らされるものなのでしょう。
 よくよく考えてみれば、私たちが明日を生きている保障などどこにもないのです。毎年平均寿命というものが国から発表され、世界一の長寿国と言われて久しいわが国ですが、平均寿命が延びたと聞けば、なぜか自分の寿命までもが延びたかのような錯覚に陥るのは私だけでしょうか。確かなこととは、今この時を生きているという事実だけなのです。この一瞬一瞬を自分に与えられたかけがえのない時間して、今を精一杯に生きていくことが何より大切なことではないでしょうか。
 自分の人生や生き方の指針となる言葉や教えに出会っていく。そんな大切な言葉に出会える今日という日でありたいと思います。

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