ラジオ放送「東本願寺の時間」

片山 寛隆 (三重県 相願寺)
第5回 「今、いのちがあなたを生きている」 [2011.4.]音声を聞く

 おはようございます。
 私たちは人生の価値として、健康、お金、能力を身につけて、人生の意味を見出そうとしています。またこうすればこうなると計画します。それがならなかったら方法を変えてまた自分の思うようになることを期待しながら生きています。私たち一人ひとりはまず、自分が可愛い、我を何よりも大事に愛着し、己れの都合を中心に生きていければ、よかったという人生が渡れるということで、いっぱいお金が有りますように、いつまでも健康でありますように、友達がいっぱい出来ますようにと日常頑張っているというのを、明治時代の宗教学者の清沢満之という方が、人間とは「外物を追い、他人に従うことをもって己れとしている存在だ」と言われました。しかし、人生の事実はいくら頑張っても己れの計算通りにはまいりません。他人に裏切られることもあります。しかし、その他人とは、世間で言われる赤の他人とか言うのでなく、この先人のおっしゃる他人とは、他の人格と言うことであり、親子であっても他人、夫婦であっても他人ということです。ですからその他人に裏切られるということは、自分の思いに合わない「こんな夫だとは思いもしなかった」とか「だからこのひとはあてにしません」というような形で日常の中で聞いたりいたします。そして健康だけが大事だといっている心の中で、何時までも元気で健康という訳にもいかんぞと思ったりしてくることも事実であります。健康もお金も友人も、本当の人生の拠り所とはならないことが知らされてくるのが人生を歩むということでもあります。その人間存在が、人生の歩みの中で、外が私という存在の拠り所とならないということになったとき、初めて拠り所を内に求めるという働きをするのも人間の有り様でもあります。
 誰もあてにならん、あてにしていたこと自体が間違いであった、これからは他をあてにしていたことを反省し、自分自身がしっかりと生きていく道を歩む、自分自身を拠り所としていくという。この放送をお聞きの中には同感だとおっしゃる方がいらっしゃるのでないかと思います。そしてその自己を見つめしっかりとした生き方をするために修養を積まなければならない、学習しなければならないという方向となり、その一環の中に仏教を学ぶというようなことが今日のカルチャーセンターの中で、宗教を学ぶというような講座が多く開設されている一面があります。
 仏教では自らの外にあるものを大事にする教えのことを外の道と書いて外道といいます、それに対して、内道、内側の道ということがあります。この内道が仏教であると教えられています。これは現代の言葉で言えば内観です。内を見る、まさに私という存在を見るということです。長い人生をあらためてふり返ってみると反省することばかりですと言われる方がいらっしゃいますが、人間というのは案外自分を買い被っているということがあります。宗教哲学者のティリッヒという人が「人間というのはどこかで自分を肯定している」とこう言っています。その中に道徳的自己肯定ということを言われています。だれかに「あなたはチャンとやっていますか」と尋ねられると、たいてい「私は人に後ろ指さされるようなことはしていない」と自己肯定するものです。
 でありますから、自己反省するといっても、そこに本質的に自己肯定の体質をもつところから一歩も出でていないのであります。
 仏様の教えとは、その自己肯定している私を破って下さる教えです。

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