ラジオ放送「東本願寺の時間」

福嶌 龍徳 (熊本県 玄徳寺)
第1回 代わる者のない人生音声を聞く

 今回から6回にわたって、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」を通して、お話しさせていただきます。
 はじめに宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌ということについて、少しふれておきたいと思います。御遠忌とは、50年ごとにお勤めされる宗祖親鸞聖人の年忌法要の事です。親鸞聖人に加えて、本願寺第8代蓮如上人の法要も「御遠忌」として、近年お勤めしています。近い所では、西暦1998年(平成10年)4月には蓮如上人五百回御遠忌が勤まりました。
 さて御遠忌のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」についてですが、2005年5月20日に開催された、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌、真宗本廟お待ち受け大会においてテーマが発表され御遠忌に臨むことになりました。今回の放送では、テーマである「今、いのちがあなたを生きている」を通して、親鸞聖人の「本願念仏の教えに生きられた」ご生涯にふれながら、現在の私たちの生活を確かめていきたいと思います。
 親鸞聖人は、今から850年程前、1173年(承安3年)に、京都の日野、現在の伏見区の地に誕生されました。父親は藤原氏一門の子孫で名を日野有範といい、身分の低い公家であったといわれます。母親については源氏の流れをくむ吉光女と伝えられ、また、聖人には4人の弟があり、いずれも延暦寺や三井寺で出家、僧侶となったといわれています。当時、この国が大きく揺れ動いた時代で、貴族を中心とした平安の時代から、武士が力をもちはじめた鎌倉時代へ移り変わる転換期でした。しかも、平氏一族と、源氏一族による源平二氏の戦いや、比叡山・奈良の僧兵とよばれる武装した僧侶たちの争い、地震や大火、そして、日照りや、また反対に長雨が続き、農作物が取れず、飢鍾や疫病があいつぎ、都には死者があふれ、ある僧侶がその数を数えたら四万二千三百人だったと鴨長明の『方丈記』に書かれています。誰も彼も、悲しみや苦しみに耐え、その日一日を生きる事で精一杯であった事でしょう。
 そのような激動の時代にあって親鸞聖人、御歳九歳、1181年(養和元年)、後の天台座主・慈円のもとで出家・得度し、範宴と名のられました。出家・得度とは、世俗の生活をすて僧侶となる事であり、仏道を歩む出発点に発ったと云う事であります。一方、御兄弟みな日野家を継ぐことなく出家された事をみると、出家せずに生きる事の困難さも、あった様にうかがえます。おかれた身の上が縁となって、生きる事、人生そのものが親鸞聖人ご自身を問うてきたのではないでしょうか。そしてその問いをほとけの道に求められたのでしょう。
 親鸞聖人の誕生から出家・得度について、たずねる時、私たちは如何なる親鸞聖人に出遇うのでしょうか。生まれた時代やその生い立ちを考えると、現代を生きる私たちとの間に大きな違いがあります。しかし、共通の課題があります。それは思い通りにならぬ人生をいかに生きるのか。と云う事において違いはないということです。
 親鸞聖人が大切にされた『仏説無量寿経』というお経に「無有代者」ということばがあります。かわるものがないという意味です。誰も変わる事の出来ぬ人生であるということです。逃げる事のできない現実を自分の責任として引き受けて生きる、どうする事もできない状況に立つ時、その状況こそが、その人を歩ませると同時に、新たに生きるカを生むのです。親鸞聖人は、世間的にはただ嘆くしかない状況、その状況自体を問題にするのではなく、状況の中にいる自分を問題にされていかれたのです。
 第2次世界大戦下、アウシュビッツ強制収容所を生きぬいた精神科医ビクトル・フランクルの言葉を思います。「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」この言葉は、テーマである「今、いのちがあなたを生きている」と、私の中で重なりあう事であります。

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