ラジオ放送「東本願寺の時間」

福嶌 龍徳 (熊本県 玄徳寺)
第2回 よき師、よき友としての出遇い音声を聞く

 6回にわたって、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」を通して、お話しさせていただいております。今回は第2回目です。
 今回も親鸞聖人の「本願念仏の教えに生きられた」ご生涯にふれながら、現在の私たちの生活を確かめていきたいと思います。今回は、親鸞聖人ご生涯の先生、法然上人との出遇いから、学びを深めて生きたいと思います。
 出家され僧侶となった親鸞聖人は、9歳から29歳まで20年間、天台宗の根本道場である比叡山において修行されていたと伝えられています。その修行生活は、仏道を歩む者の生活規範として悪を止め善を行う戒律と呼ばれる決まりを守る「戒学」。「三昧」とも云いますが、心の乱れを押え、精神を静かに安定させ様とする「定学」。そして惑いを断ち切り真理を悟る事。仏の智慧を身につける。それは同時に、「煩悩を断ち、さとりを開く」つまり、貪り・怒り・愚かな心を断ってさとりをひらく。ということになる「慧学」。その三つの学問が中心でした。いずれも、修行する本人の努力と頑張りが要求されます。賢者への道です。しかし、親鸞聖人にとって20年の修行を続けて見えてきたものは、「煩悩具足の凡夫」つまり三学も、煩悩を断つ事も徹底できない自分、さとりに近づくどころか、いよいよ思い惑う心が燃え盛る、どうすることもできない我が身でした。幼いときに出家し求めた比叡山の仏教にも行き詰まった。八方ふさがりの状態でした。一方、法然房源空の専修念仏の教えのもとに、出家者も含む老若男女の人々が訪れていました。親鸞聖人もそれをきっと聞き及んでいたことでしょう。
 親鸞聖人は1201(建仁元)年、比叡山を下り、聖徳太子の建立と伝えられる京都の六角堂に百日の参籠をされました。その95日日の暁、救世観音の夢の告げに導かれる様に法然上人の元へ、赴かれたのです。親鸞聖人は「自分が愚かな身としてしか生きられない事に目覚め、浄土に生まれ生きる者になる」という、賢者となるための修行をしていく道とはまったく異なった道に出遇われました。そして法然上人と、そこに集う人々に道を尋ねる中で生涯を決定づける言葉に出遇われたのです。それが、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という言葉です。「ただ念仏して阿弥陀仏にたすけられなさい」それは、煩悩を断つ事の出来ない身であっても、念仏申して生きる道がある、そこに阿弥陀仏の大悲がはたらいていることに気づかされたのです。その事を後に親鸞聖人は「法然上人と出遇った29歳のとき、私は救いを求めてのこれまでの様々な努力をすべてやめ、本願に生かされている自分に目覚める事ができた」と、その生涯をかけた著作である『教行信証』にしるしておられます。
 この親鸞聖人と法然上人の出遇いは、私たちに一人の人間が、師つまり先生に出遇う大切さを教えて下さいます。もっと言えば、人の一生は、どんな人に出遇うかで決まると云う事でしょう。ある人が生きている姿に影響を受けると云う事もありますが、もっとも影響を受けるのは言葉でしょう。どんな言葉に出遇い、聞き取ったかが、その人の一生を決めると云うことでしよう。言葉を聞くということは逆に、ふとしたときに聞いた言葉の方につかまれて、それが頭から離れない。と云うことがあると思います。
 私自身、先生からお聞きした言葉を思い出されます。
 「よき師、よきともとの出遇い」それは「ねむらせない、よわせない、胡坐をかかせない」私の思いに閉じこもる、そのあり方を問うて下さると云う事でありましょう。

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