宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」を通して、お話しさせていただきます。今回は第5回目です。
「本願念仏の教えに生きられた」ご生涯にふれながら、現在の私たちの生活を確かめていきたいと思います。今回は、親鸞聖人の関東での生活を通して、たずねてみたいと思います。
承元元年1207年におきた承元の法難、専修念仏停止の弾圧により親鸞聖人は、京の都より越後の国、現在の新潟への、流罪の刑罰を受けられました。その処罰は、死罪につぐ最も重い流罪で、念仏弾圧の厳しさがうかがえます。国が認める出家者ではなく、しかし、世俗にまみれて生きる者であっても、親鸞聖人にとって法然上人に出遇いいただかれた本願念仏の教えを生きる身に変りはない。つまりは国が認めるところの僧侶ではないが、仏法を依り所として生きる事に変りはない、単に世俗に生きるのではない「非僧非俗」の身と積極的に受けとめられ、仏弟子の名告りとして、流罪の頃より、自ら愚禿釈親鸞を名告られる様になりました。
配流の地での生活は、はじめの1年だけは米・塩が支給されるが、翌年は与えられた種を自ら植え、耕す自給自足が求められました。
当然、一人で行えるものではなく、まわりの方々の支えがあったことでしょう。流人の身である親鸞聖人にとって、どれだけ有難かった事でしょう。この様な人々との出遇いの中、恵信尼さまと結婚され、三男三女の子宝にも恵まれたようであります。
越後に流罪になってから4年後、親鸞聖人39歳の時に、流罪は解かれたのですが、京には戻られず、親鸞聖人は流罪赦免後2年程、越後に留まり、越後で6年ほどを過ごされた後、聖人42歳の時に京都にではなく、関東へと向かわれました。
その頃も、専修念仏に対する禁止令が度々出され、京都における念仏弾圧が厳しかった事です。また関東には鎌倉幕府があり政治の中心が関東一円に移りつつあり、その動向も見据えつつ、壮年期を迎えた親鸞聖人は、本願念仏の教えを縁ある人々に伝えるために旅立たれました。
しかし、一口に関東への旅路といっても、妻や子どもたちご家族を伴っての200キロを超える旅のうえに、その旅先も、ご夫婦ともにはじめて訪れる土地、言葉も習慣も違いさぞ御苦労であったことでしょう。
関東では、はじめに常陸の国、小島、現在の茨城県下妻に小さな住まいをかまえご家族と暮らされましたが、3年程して稲田の草庵、現在の茨城県笠間などに移り住みしながら、念仏の教えを伝え、いただきながら、およそ20年の歳月を過ごされました。
その説かれる教えを聞き、本願念仏に生きる人々が次々に生まれ、その聞法の集いがいたるところで弘まった事を、聖人のお手紙や親鸞聖人の教えを受け伝えた人々の名前が挙げられている『親鸞聖人門侶交名牒』などから知る事が出来ます。特に、先の『門侶交名牒』には、数千いたといわれる門弟の中、関東の門弟の名前が300人以上挙げられています。このように関東における親鸞聖人の積極的な取り組みをうかがい知ることが出来ます。草庵にてたずねて来る人を待つだけでなく、自ら、教えを説いて歩かれたのでしょう。
聖人の高弟は、特に24人おられ、今日も二十四輩と称して点在していますが、その寺院や聖人ゆかり地、住所の広がりを考えると、当時は当然、移動手段は徒歩、歩きが中心ですから、親鸞聖人は朝早く草庵を立たれ、夕刻に目的地に着き、休む間もなく、その地域の一日の労働を終えた人々に教えを説かれる事もあった事でしょう。
また、関東において大切な事として、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』いわゆる『教行信証』の執筆にも専念されました。
『教行信証』は、専修念仏に対する、これまでの伝統的な仏教教団や、国の弾圧を受けとめ、本願念仏こそ真実の道である事を明らかにされたのであります。
特に、『教行信証』の最後には、日本においてお念仏の教えが広まるのに大きな役割を果たされた道綽禅師の『安楽集』の引用が最後になされています。簡単に現代語訳しますと、「お念仏によって浄土にうまれていく道を歩むひとの助けにするため、さまざまな経典や注釈書から言葉を集めました。先に教えに出遇ったひとは、後のひとを導き、後のひとは先に教えに出遇ったひとに、教えを乞い。それが」
「『安楽集』に云わく、真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。已上」
この御言葉に、関東における親鸞聖人の本願念仏に生きる姿が重なりあいます。
以前、次のような譬えをお聞きしました。
「悲しいかな、溺れているものがいても、泳げぬものは助ける事が出来ない」と。
苦悩、苦しんでいる者を本当に救うとは、人間の理性や思いに基づく慈悲には限界がある。
一切を平等に見る仏(仏さま)の智慧を、念仏においてたまわる事であると改めていただき。自力無功の自覚を新たに、阿弥陀仏の本願一筋の道を関東の人々とともに親鸞聖人は歩んでゆかれたでありましょう。