ラジオ放送「東本願寺の時間」

髙橋 法信 (大阪府 光徳寺)
第三回 田口君と その2音声を聞く

 お早うございます。前回は久しぶりにあった友人の田口君の目が、見えなくなっていたことを話しました。田口君は目が見えなくなって絶望し、死ぬことばかり考えていた。しかし、ふっと「学習会の先生の言葉を思い出した」というのです。それは私たち浄土真宗の僧侶が持っている勉強会のことで、長年、大谷派の僧侶の中野良俊先生に来てもらって話を聞いておりました。
 この先生は時間をきちっと守っておられる先生です。あるとき、先生は三十分遅れてこられ、そのときは目の見えた田口君も一緒に先生をお迎えしました。私が、「先生、珍しく遅れてこられましたが、何かあったのですか?」と尋ねると、「うん、年いくとこんなもんや」「それで京都の自宅から大阪のこの会場までどのくらいかかりました?」「うん、まあ五時間くらいかな」「え?五時間も!まあ、先生もお気の毒なことになられましたね」と私が言いましたら、先生は火がついたように怒りだされました。「もういっぺん、言うてみい」「いや、お気の毒…と申しました」「気の毒?なにが気の毒や」「先生は若いころ、自家用車で、一時間あまりでこられ、いつもさっそうとしておられましたので」「あのなあ、若いときは若いときの身の業を精一杯生きたらいいんや。年取ったら年取ったで、身の業を精一杯生きたらいいんや。若いときに一時間でこれたからいうて、いばるやつがあるかい。年いくいうのはな、一時間で来れたところを四時間、五時間かけてきたらええだけのこっちゃ。確かに身は不自由になる。若いときのようにいかんが、不幸とは違う」
 先生はさらに「お前は若いときは良くて、年いったらあかんくらいに思っとるやろ。良いとか、悪いとか、言うやつがおるか。お前は大谷専修学院で何を勉強したんや」といって、きつく叱られました。
 実は、このときの場面を、田口君は自分の目が見えなくなって絶望していたときに思い出したというのです。そして自分の身に引き当て、「若いときが良くて年いったらあかん―目がみえたときはよくて、見えなくなったらあかん。そんな、良いとか悪いとか言うやつがあるか!―そうや、見えたときも私。見えないときも私や。この身の主人公である私は、今ここに現に、生きてあるやないか」と。
 そう心が決まると田口君は不思議に、急にお腹がすいてきたし、歩行訓練、点字の勉強というように、生きることに意欲が沸いてきた。「それで田口君、いま何やってるの?」「今、東京の役所のアルバイトで、独居老人の家を訪問して、話し込んで帰ってくるんや。老人さんたちが異口同音に話すのが『若いときはよかったが、年とったらあかん早くお迎えが来てくれへんかなと、お仏壇の前で手を合わせてる』と。」
 その時、田口君はお年寄にたいして言うそうです。「その気持ち、よう分かります。僕も同じようにおもったものです。しかし目が見えてるときも見えてないときも、自分に変わりはないのだと教えられて、見えない目が、見えたように思います」と。悲しみを共感し、そこから「一緒に生きていきましょうよ」と励まして回っていると。この話を聞いて私は、親鸞聖人の和讃を思い出しました。和讃というのは、仏様の教えを和らげ、讃えるという意味があります。
 よしあしの文字もしらぬひとはみな
 まことのこころなりけるを
 善悪の字しりがおは
 おおそらごとのかたちなり
 ―この和讃の心が、私なり受け止められたと思いました。親鸞聖人は私たちに、「かけがえのないいのちを生きている、一人の人間に目覚めよ」、そして、「良し悪しを超えた、寿命の限り、生きよ!」と、励ましてくださっておるのでした。ありがとうございました。

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