ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤場 芳子 (石川県 常讃寺)
第一回「3.11から思うこと」 その1音声を聞く

 藤場芳子と申します。今日から6回にわたってお話しをさせていただくことになりました。石川県の野々市町にある常讃寺というお寺に住んでいます。生まれ育ったのは東京の一般的な家庭で、両親は共働き、弟が2人います。お寺との接点はほとんどなく、たまに親戚の法事に参加することがあるくらいでした。お坊さんがあげるお経の意味はまったくわかりませんから、「早く終わらないかなぁ」としびれる足をさすりながら思ったものでした。私が学生時代に出あった相手がお寺の長男、つまり私の夫です。結婚してから30年経ちますが、その間少しずつ仏教や真宗の勉強をしてきました。日々の暮らしの出来事を通して、みなさんと一緒に考えていきたいと思っています。
 さて、6回を通じてのテーマを「今を生きる」としました。仏教を知る前の私は仏教と私とは何の関係もないと思っていました。けれども、勉強をするにつれて、私と大いに関係がある、いや仏教を学ぶことは「私を学ぶこと」なのだと感じるようになりました。「経教は鏡のごとし」という言葉を聞いたことがあります。始めの「きょう」はお経の「きょう」、次の「きょう」は「教え」の「きょう」です。つまり仏さまの教えは自分自身を写す鏡のようなものだということです。私たちは直接自分の本当の姿を見ることができないので、仏さまの教えを通して自分自身の姿を見させていただくのです。私たちは一体どんな今を生きているのでしょうか。
 今年の春、まだ肌寒い3月11日。三陸沖を震源地として東日本大震災が起こりました。亡くなった方と行方不明の方を合わせると、およそ2万人にもなる大惨事となりました。そして原子力発電所が津波の被害にあい、放射能が漏れていることがわかりました。
  これからお話しするのは震災から1カ月経ったある日のことです。「これから私たちに何ができるだろうか」という話し合いをお寺でしました。老若男女たくさんの人が参加しました。中には初めてお寺に来るという人もいたので、自己紹介の場をもちました。その時、30代の男性が次のように話しました。「僕は阪神淡路大震災があった1995年、つまり16年前にインドを旅行していました。その時、あるインドの方から質問をされました。「あなたの宗教は何ですか」と。僕は「ありません」と答えました。するとそのインド人は「ウソだ」と言いました。僕はウソをついているつもりはないので、再び「ありません」と答えました。するとその方は「日本人の宗教はお金だろう?」と言ったのです。僕は頭が真っ白になってどう答えていいかわかりませんでした。それからしばらくインドにいましたが、その言葉がずっと気になって、日本に帰ってきてから自分はどのように生きていこうかと考えました。そして今、農業を生業としています。農家に生まれたわけではないので、畑をもっていませんでしたし、身の丈にあった生活ができればいいと思ってやっています。家族で食べる以外の野菜は宅配便で希望する家に届けたり、加工食品を作って販売しています。地震は人間の力ではどうすることもできないけれど、原発を必要としてきた生活をどうしたらいいのか、みんなと話したくて参加しました」ということでした。
  宗教というと特定の宗教教団に所属することをイメージしてしまう人が多いかもしれませんが、実はそうではありません。宗教の宗はむねと読みますが、それは体の胸と同じように中心という意味です。生きる上での中心軸ということです。先のインドの方によれば、日本人はお金を中心に生活している「お金教」の信者ということになります。『大無量寿経』というお教の中に「老いも若きも男も女も共にお金や財産について心配ばかりしている」(真宗聖典p58)と書かれています。私たちは豊かな暮らしをすることを望んできました。しかし、どういうことが豊かな暮らしなのでしょうか。「あなたの宗教、生きることの中心軸は何ですか」。旅先で出あったインドの方からの問いかけは、今、私たち1人ひとりにも投げかけられています。

第1回第2回第3回第4回第5回第6回