ラジオ放送「東本願寺の時間」

藤場 芳子 (石川県 常讃寺)
第四回 幻の子ども像音声を聞く

 私が青木悦さんという教育ジャーナリストと出あったのは、今から10年以上前のことです。青木さんには京都の東本願寺で不登校やいじめの問題でお話しをしていただくことになっていて、事前の打ち合わせの時に、子どもたちをめぐる問題についていろいろとお話しをしました。現在はフリーで活動されている青木さんですが、以前は女性問題に関するある機関紙の記者をされていたことを知り、長年その新聞の読者だった私は青木さんとの距離が一気に近くなりました。そこで初対面にもかかわらず、当時中学3年生だった長女の進路について相談しました。「娘は工業高校の工芸科に進みたいと言っているのですが、こんな早くから専門性のある高校へ行かなくてもいいと私は思っているのですが、どう思われますか」と尋ねました。青木さんは「娘さんはやりたいことがはっきりしているのだから、問題はないのではないですか」と答えられました。私は青木さんから「あなたは何にこだわっているのですか」と問いかけられた気がしました。自分の思い通りになって欲しいと思っている私の心が見透かされたようでドキっとし、とても恥ずかしいと思いました。その後、娘は希望する工業高校に行き、好きな絵を描いて楽しい学生生活を送りました。
 親や大人は良かれと思って子どもに「こうあって欲しい」と期待してしまうことがありますが、青木さんはそれを「幻の子ども像」と名づけています。例えば、朝は起こされなくても自分から起き、好き嫌いなく食事をし、忘れ物をしないで学校へいく。真面目に勉強して授業中には積極的に手を挙げる、と同時に校庭の片隅にさいている花にも感動するような心を持ち、帰宅したらすぐに宿題をして、お風呂に入り、早く寝る、といった具合です。そんなの有り得ないと思いませんか。でも、最近ではそういう親の期待通りの良い子がいるのだそうです。青木さんはそれをとても心配しています。家庭が学校と同じものさしで子どもを評価する場になっているからです。そのものさしとは成績のことです。私の友人は小学生の時、テストで80点以上をとってこないと親にとても叱られたそうです。そして80点以下の答案は見せなくなったそうです。子どもは親の期待を敏感に察知して、裏切らないようにと無理をしてしまいます。一方大人は「幻の子ども像」を子どもに押し付けているのでしょう。子どもたちは気が休まるはずはありません。私たちの思いの中に閉じ込められた子どもたちは今、声にならない悲鳴をあげています。
 お釈迦様が誕生した時に「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝えられています。「世界で私ただ1人が尊い」とずいぶん独善的な解釈をされることがありますが、これは誤りですし、まさか生まれたばかりの赤ちゃんが喋るはずがありません。『大無量寿経』という経典にはお釈迦様が「吾当に世において無上尊となるべし」と声を挙げたと書かれています。無上尊とは、上が無いと書きます。それは比べることができないということで、それほど1人ひとりが尊い存在だということなのです。私たちは性別も国も家もそれぞれ別々の背景をもって生まれてきます。AさんとBさんを比べて評価することなんてできないし、そもそも比べる必要がないということを「天上天下唯我独尊」や「無上尊」ということばが私たちに教えてくれているのです。でも、私たちは1番になろう、最も尊い人・最上尊になろうとして、人と比べて一喜一憂しているのではないでしょうか。
 お釈迦様が自分の子どもにつけた名前をご存知でしょうか。ラーフラといいます。意味は、障碍、つまりさまたげということです。自分の心を穏やかにさせてくれないから、さまたげというのです。子どもは大切な存在だから心が揺れるのです。大切に思うからこそ期待をし、心配をし、そして悲しいことにそれがお互いを傷つけ合うことにもなってしまいます。近しい関係というのは本当にやっかいなものです。私たちが「幻の子ども像」から目覚めるのはいつのことでしょうか。

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