ラジオ放送「東本願寺の時間」

名畑 格(北海道 名願寺)
第二回 あなたと親しく呼びかけてくるもの音声を聞く

 第2回です。
 「今、いのちがあなたを生きている」のテーマに沿ってお話をしています。
 こんな話を聞いたことがあります。南極観測隊に従事する越冬隊員の青年に奥様から1通の手紙が届きました。周りの隊員は彼をはやし立てたそうです。彼も期待しながら手紙を開きました。近況報告などをたくさん書いてくれるものだと思っていました。しかし文面はたった1言「あ・な・た」でした。彼の期待以上のものでした。凍てつく氷の世界の中で温かさが彼をつつみました。文字に感情はありません。しかし2人の関係性が言葉に感情を運ぶのです。
 「あなた」という呼びかけに温かさを感じるなら、そこにすでに存在が感じられます。遠く離れていても存在を感じることがあるならば、とても近くに、すぐそばにいます。それが「あなた」という言葉の響き、存在感でしょう。文字が声に聞こえた瞬間でした。このテーマの「あなた」もまた親しく語りかけてくる言葉と言えます。
 話された言葉は聞くことを通して存在を感じさせますが、書かれた言葉、文字は存在を切り離すことがあります。文字のない社会では話し言葉は存在と1つでした。文字社会はむしろ言葉は道具となり、抽象化し、存在と存在を切り裂きます。差別やいじめが言葉によることが多いのも、言葉が簡単に道具になるからでしょう。 私は今、北海道に住んでいます。最近、アイヌ民族の方とお会いする機会が多くあります。北海道でアイヌの方と僧侶とで共同で学習会を開いています。アイヌという言葉はもともと「人間」を意味する言葉です。
 しかし歴史の中で差別語になってしまいました。存在をあらわす言葉が差別語になることほどきついことはありません。逃げることができないからです。例えば日本語の「ニンゲン」という言葉が差別語になったら、私たちはどう思うでしょうか。
 現代社会は能力のあるかないかで人を見ていくような傾向がみられます。役に立つか立たないかです。役に立たなくなると見捨てられていきます。誰もがいつかはそういう自分になるとは思ってもいません。ものさしが他人に向いているときはのんきに構えていますが、ものさしが自分を計る道具に変わったとき、「こんなはずでなかった」とか「もうだめになった」とかうめくように叫びます。役に立つか立たないかのものさしが自分を計った結果です。けれどもものさしを手放すということを知りません。
 孤独という言葉があります。元々は中国の孟子の「孤児独老」という言葉があって、そこから生まれてきたそうです。これはみなしごと見捨てられた老人という意味です。孤児の弧、独老の独をあわせて孤独という言葉になります。象徴的に表現された言葉ですが、現代という時代をよくあらわしている言葉です。家庭が崩壊して精神的な孤児が生まれ、一生の最後にひとりぼっちになる老人が増えています。信頼すべき場所がなく、また長い間の苦労が少しも評価されず、誰にも顧みられなくなるという状況が「孤児独老」という言葉で表されているのでしょう。「あなた」と親しく呼ばれることのない世界です。しかしそういう世界だからこそ、『今、いのちがあなたを生きている』というテーマは「あなた」と親しく呼びかけているのでしょう。私はあなたのそばにいます、どうか私の存在に気がついてください、と。自分さえも見捨てていく私たちに、親しい存在の声として愛情を運びながら、もう1度、孤独の中から救い出そうとしている。それが「あなたを」という目的語が使われている意味ではないでしょうか。

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