第3回になります。
私の住んでいる北海道は夏が短く冬の長い地方です。秋はあっという間にすぎて行きます。その短い秋に冬のたよりの雪虫が飛び始めるともう冬はすぐそこに来ています。農家の後片付けの風景を見ながら、お寺の境内も落ち葉の後始末をいたします。夏は日差しを防いで涼しいのですが、私にとっては厄介者です。後片付けをしながら、こちらの勝手な都合で落ち葉を厄介者にしている自分が恥ずかしくなります。ある年の秋、毎年の恒例行事のように落ち葉の片付けをしていました。その日は50代でなくなった方の49日でした。「どんな法話をすればいいのだろう」とお説教のことを考えながら、落ち葉を掃いていたら、後ろで「ボソッ」という音がしました。「なんの音だろう」。それほど気にも留めずに作業を続けていたら、また「ボソッ」。今度は気になって、音のした場所に行ってみました。ドングリでした。そのドングリをジーと眺めているとあることに気がついたのです。ドングリの実が木を離れて地面に落ちたとたん種になることを。当たり前のことですが不思議な感じがしました。一生かけて実らせた果実が次の世代になることが人間の死においても成り立つのではないかと思いました。ある研修会でお子様を亡くされたお父さんに出会いました。2歳半の女の子で病気だったそうです。2歳半ですから、もうお父さんお母さんと呼んでいたことでしょう。表情も豊かになり、その子の笑い声が、仕草が、どんなに毎日の仕事の疲れを忘れさせてくれたでしょう。しかしある日、病気がもとで亡くなられたそうです。どれほど悲しまれたか。どれほど苦しまれたか。そういう立場になったことのない私には想像もできません。研修会の座談会でそのお父さんは子どもを亡くしたことを話された後で、「私の子どもは2歳半で亡くなりました。けれども私はこの子は90年生きたと思っています」と強い口調で話されました。驚きました。なぜ2歳半でなくなっているのに90年生きたと言われるのか。
お父さんは90年という数字を借りながら、子どもが人生を全うしたのだと言おうとされたのだと思います。2歳半だけど充分に生きた。そのことをお父さんは深い悲しみの中で受け止めていかれた。
私たちはたくさんの物さしをもって生きています。その物さしは人を計り、自分をも計っていきます。人生も物さしで計ります。人生80年、90年を生きるのが普通で、それより早く亡くなると「少し早くて残念だ」と言ったりします。ましてや2歳半となると「まだまだたくさん生きられたのにかわいそう」という言葉しかでてきません。お父さんはその言葉をいろんな方から聞きながら「この子の人生は本当にかわいそうな人生だったのか」と自問自答されたのに違いありません。全幅の信頼を寄せているあの笑顔。子どもの記憶がよみがえるたびに「かわいそう」というあわれみの言葉が残酷なものに思えてなりません。七転八倒しながらでも、お父さんは様々なあわれみの言葉を拒否されるかのように、「90年生きた!」と叫ばれたのに違いありません。
死は豊かなものだと様々な方の葬儀を勤めるたびに実感します。ドングリの実が木から落ちるように、人は人生を終わります。しかしその人生から種を受け取っていく人もいます。「死んだら終わりだ」と言って種を受け取らないひともいます。
親鸞聖人の人生から種を受け取ってきた歴史が念仏者の歴史なのでしょう。1人ひとりの種を育て実らせるために大地として、仏さまの教えがあり、肥やしとして、人との出会いがあるのではないでしょうか。