ラジオ放送「東本願寺の時間」

望月 慶子(兵庫県 浄泉寺)
第一回 「救いとは」その1音声を聞く

 本日から6回現代と親鸞というテーマで「救いとは」についてお話をさせていただきます。
 私たちが生きている時代は、ものが豊かでお金さえ出せば何でも買える時代、そして、平和そうで豊かそうに見えますが、実は様々な問題が、私たちの周りに渦巻いていて、私たちの家庭や1人1人の人生にまで、いろいろ悩み多い時代ではないかと思います。こんな時代に私たちはどう生きていけばいいのか、方向も見えず不安は募るばかりかではないでしょうか。そんな時代を生きる私たちに親鸞聖人はご生涯を通して何を教えてくださっているのかということをお話ししていきたいと思います。
 昨年の3月11日、東北地方を襲った大きな地震と大津波に加えて原発事故が私たちの社会を襲いました。10ケ月近くになりますが、今なお癒えない悲しみや、解決されない様々な問題が山積みされていると思います。私は17年前の1995年1月17日の阪神淡路大震災で被災をしました。あの当時のことが東北地方の方々の姿から不安と恐怖の日びが思い出され胸が痛みます。
 阪神淡路大震災で被災し、余震におびえ、気力もなく、むなしさに襲われていた時、ある方から「こんな時こそ聞法しなさい」と、仏様の教えを聞きなさいと言われました。また、こうとも言われました。「こんな時こそお念仏を」と。当時の私は、こんなつらい目に遭っているのに、なんでお念仏をすればこの辛さや悲しみが癒されるのか、どうしてそんなことが可能なのかと怒りさえ覚えました。
 当時、被災地でたくさんの「どうしてこんな目に合うのか」という声を聞いていました。ボランテイアに出かけている間に震災後発生した火災によって母親が焼け死んだ人からは「母親はお寺にもよくお詣りをしていたし、人様のお世話をし、真面目に生きた人だったのに何でこんな目にあうのですか」と、また親子3人で寝ていて真ん中の子どもだけが亡くなったお母さんは「なぜ私だけが生き延びているのでしょうか、ご先祖さんを大事にしてきたのに、神も仏も信じられません」と泣きくずれられたりして痛々しい気持ちが伝わってきて、言うべき言葉もありませんでした。
 ある先生にそのことを「とてもつらくてかける言葉がなかった」と話しましたら、親鸞聖人が88歳の時、お出しになったお手紙のことを話してくださいました。それは、当時、関東地方を襲った伝染病や災害による飢饉で多くの人が死んでいくという悲惨な状況の中で「お念仏していてどうなるのですか」と関東のご門徒さんが京都の親鸞聖人に出した手紙のお返事です。親鸞聖人のお手紙は「何よりも去年・今年とおびただしい老若男女がみまかったこと、悲しいことに思います。ただし、生死無常の道理はお釈迦様が詳しく説きおいて下さることであれば驚いてはなりますまい」と。親鸞聖人は、人は死ぬものである。しかも老若男女を問わずに死ぬものであるという非情とも思われるいのちの道理が、人間の計らいで決まるのでなく、「生死無常は世の道理です」とお釈迦様が教えてくださっていることですから今さら驚くべきことではありませんという内容のお返事を出されたと教えてくださいました。当時の私は『なんと冷たい言葉』と思っていました。
 生死無常は世の道理なのですが、私たちは自分の思い通りになったらいいな、思い通りにしたいという深い欲望を持っています。でもいのちさえもなかなか思い通りになりません。道理だとうなずけない、うなずきたくないのです。だから苦しいのです。苦しみがあるから仏様の教えが聞けるのだと思います。仏教は人間のふかい苦悩から生まれ、いつも私たちに寄り添い、助かりたいという私たちの悲鳴に答えて、阿弥陀仏の本願を信じよと親鸞聖人も呼びかけてくださっています。親鸞聖人がお釈迦様から示された生死無常は世の道理だということを通してやがて死んでいく身だが覚悟はできているのか、ぼやぼやするな、人として生きてきた意味はなんなのか、何のためにこの世に生まれてきたのか、つらくても生きていく意味はなんなのかを、仏様の教えに尋ねていく仕事があることに、気付かせていただきました。 17年前、こんな時こそ聞法ですよという言葉は、真実の救いを求められた親鸞聖人の願いを聞きなさいという呼びかけでもありました。

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