ラジオ放送「東本願寺の時間」

望月 慶子(兵庫県 浄泉寺)
第六回 「救いとは」その6音声を聞く

 私が担当するのは、今回が最後になります。今回も、親鸞聖人の救いについてお話をします。
 お念仏とか、信心とか、何かとってもむずかしくて、もう少しやさしくならないのかと言われる方があります。たしかに何度聞いても分からないことが仏教には多くあると思います。それはどうしてなのか、ここに救いの大切な課題が秘められていると思います。
 そのことを今回は、私なりに明らかにしていきたいと思います。
 親鸞聖人は、救われるためには2つの条件が必要だと言われています。その1つめは聞くこと。これを真宗では、仏様の教え、法を聞くという意味で聞法と言っています。もう1つは思です。思うこと、つまり考えることです。考えることは疑うことです。聞法を重ねていくうちに何を疑うのか、わかってきます。それは自分自身を疑うことです。でも、自分自身を疑うことなんかはすごく難しいことで、他人の事は疑っても自分のことは疑いたくないのが普通です。親鸞聖人はそれを凡夫という言葉で教えられています。でも、自分自身を疑わなければ、救いは明らかにならないのです。それがお釈迦様の教えだと、私は了解しています。
 私どもの言葉で、浄土真宗を信じる人をご門徒さんと言いますが、そのご門徒さんのお一人で、少し前一人息子を亡くされた方がいます。自慢の息子さんの突然の死でした。深い悲しみから逃げるためにいろんな宗教に心の安らぎを求めたけれど、心の安らぎはなかったと。そんな時、ご門徒さんが集まって親鸞聖人の教えを聞く会、それを同朋会と言いますが、お寺の同朋会に出てこられるようになりました。その方は、息子さんに死なれるまではほとんどお寺に来られたことはありませんでした。
 住職は、「息子さんを亡くされた悲しみはよくわかります。でも、悲しんでばかりいても何も解決しませんよ。親鸞聖人の教えを聞いて下さい。はじめは難しいと思われるかもしれませんが、聞いていくうちに必ず救われます。そして、その救いはあなたの悲しみの中から生まれるのだということが、仏様の教えを聞いていくうちに必ずわかってきますよ」と話していました。それからこの方は、ずっと親鸞聖人の話を聞きたいと同朋会に来られています。それはきっと、自分でもよくわからないけど、親鸞聖人の教えを聞かずにはおれないという強い思いが出てきたからではないでしょうか。今回はやめておこうと思っても聞かずにおれないものが自分の中に出てくるんです、と言われて1番前に座って聞いておられます。頼りにしていた息子に死なれるという悲しい辛い体験の中から生まれてきたのだと思います。これが他力です。親鸞聖人が言われる自力の心ではとても理解できない世界です。自分を苦しめ悩ませている体験が縁になっているのですから。不思議としか説明のしようがありません。親鸞聖人はそのことを「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞き難くして、すでに聞くことを得たり」と教えてくださっています。
 真宗大谷派の僧侶で、仏教思想家の金子大栄先生は、「念仏は自我崩壊の音である」と言われました。自我崩壊とは、自分に絶望することです。大変な出来事を通して、つまりその縁によって、自分の愚かさが打ち砕かれる。自分の愚かさを徹底して思い知らされることです。
 仏様の願いを信じることは、難儀の中の難儀だと、親鸞聖人は言われています。それは自分の愚かさにいちども絶望をしたことがないからだと思います。
 「ただ念仏して弥陀に助けられ参らすべし」と言われた親鸞聖人の言葉は、私には、仏様を信じるほかにもう救われる道はないということではないでしょうか。信じるということはそういうことだと思います。私自身の体験から言えば、自分に傲慢だったり、自分に甘い時は仏様は信じられないものです。当然安らぎもありません。
 私が救われるということは、私が頑張って、私が信じて、私が考えて、という自我に絶望することです。それによって仏様の教えを信じるというより、信じるしかない、もう仏様の教えを信じるしかない世界が開かれるということです。仏様の方から私の方に願いをかけ、働きかけてくださっていることを知ることです。
 お釈迦様は苦しみが真理だと教えてくれています。なぜ、苦しみが真理なのかと言いますと、それは苦しみの中から救いが生まれるからです。その苦しみのもとは、煩悩があるからだと。煩悩が、人間の悩みや不安のもとなんですが、その不安や悩みが、仏様の話を聞きたいと、真理を追究せざるを得なくしていて、それが生きていく力になります。私たちは煩悩に苦しめられているのですが、煩悩が生きていく力になります。だから、迷いが大事、死ぬまで迷うから死ぬまで求めざるを得ないということです。
 救いとは、親鸞聖人は不安の時代を生きる私たちに、信じなさい、任せなさい、仏様にお任せすることだと教えてくださっています。仏様の教えを聞き続けていくことかと思います。

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