ラジオ放送「東本願寺の時間」

望月 慶子(兵庫県 浄泉寺)
第三回 「救いとは」その3音声を聞く

 今回も「救いとは」についてお話をします。
 時代社会をよく見てみると、平成10年から自殺する人が14年間続けて3万人を超えています。
 最近も乗っていた電車が人身事故のため立ち往生して電車の中で1時間近く待っていました。本当に多くの人が生きる希望が持てずに悲鳴やうめき声をあげているということです。この大変な時代社会の中で苦悩と不安を抱えて生きる私たちに、親鸞聖人はどんなことを教えてくださっているのか尋ねていきたいと思います。
 真宗の教えは親鸞聖人によって明らかにされた仏教の真理であると私はとらえています。
 仏教の真理というとたいへん難しい言葉に聞こえますが、不安と苦しみ多い人生ですが、生まれてきた甲斐があった、生きてきた甲斐があったと誰もが自分の人生にうなずき、受け止めることが出来る大切な教えです。迷っている私たちが不安のない人生を生きていける知恵と勇気が頂ける教えのことです。
 少し前まではお寺にいろんな方が話しに来られていました。人は誰でも悲しいことや思いがけないことを体験すると憂鬱な気持ちになります。悩みは誰かに話すと少し楽になります。お寺はそういう場所でもあります。1人で悩まずちょっとお寺に来て、誰にも話せないことや、気持ちが塞いでいることとか、生き方に悩んでいるとか、お嫁さんとうまくいってないとか、子育てで悩んでいるとか、職場での人間関係であるとか、いろんなことを話しに来られていました。お寺の本堂は黙って座って仏様の世界を感じる空間があります。心を開く空間があります。さらにきれいなお花が入っていて、お香やお線香のいい匂いがしています。あの匂いは精神を落ち着かせる作用があります。心が静かに落ち着きます。そんな場所で、とても悲しいことがあったとか落ち込んでいることとか苦しい胸の内を打ち明けたりしてきました。住職は、いつも法事の席で、お寺は葬式と法事をしてくれる供養の場所だと思っているだろうが、本当はつらいこと、苦しいことを相談する場所だと言いましたら、若い人が、ホーそうなんですか。初めて聞きましたと言われたと話してくれました。そうなんです。お寺はそういうところなんです。知っておいてくださいね。
 私たちは、無常の世――無常、常の無い、永遠のものは無いという世を生きていると知識では知っていますが、腹の中では案外そう思っていないので、いわゆる不幸といわれるものに出遭うと「なんで自分だけこんな目に合わなければならないのか」と嘆きうろたえ落ち込んだり、憂鬱になったりすることになります。
 親鸞聖人は不安をかかえて生きる私たちに、「ただ念仏申す」という一筋の道を行くことが真宗の救いです、と。お釈迦様が教えられ、親鸞聖人が命がけで私たちにまで伝えてくださったお念仏の教えは、貴方を救うという仏様の呼び声で、750年の時を経て私にまで届いた呼び声です。
 親鸞聖人は、信心は智慧と教えてくださっています。人間の智慧には限界がありますが、仏様の智慧によって本当の自分が見えてきます。煩悩によってこの私が見えてきます。煩悩は欲が深い、怒りやねたむ心と聞いています。さらに、もっと生きていたい、死にたくないという執着心も煩悩です。また、何か物事を考える時は、すぐに損か得か、次に好きか嫌いか、値打ちがあるかないかと価値判断をしています。そして1番厄介なのはいつも自分を正当化する心。どこまでも自己中心です。苦しみの根っこは自分の思い通りにしたいけどならないから、苦しい。そういう私の姿が知らされるのは仏様の教えを聞いて智慧をいただく仏智によってですが、知恵をいただくことで自己中心の私の姿を知ることが出来ます。私のことを煩悩具足の凡夫だと仏様は教えてくれています。煩悩が一杯、自分の事だけを考えている愚かな私だと気付いた時、助かりたい、救われたいという思いが痛烈に出てくるのではないでしょうか。親鸞聖人は、もう私には、仏様の教えを信じるしかないという極限状況に立ち至ったとき、救われると教えてくださっています。安心して生きていけます。信心とはそういうものだと思います。

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