昨年、3月11日に発生した東日本大震災から1年が経ちました。本当に早いものです。しかし、被災された方々にとって当たり前の生活がもぎ取られ、あまりにも辛く苦しく、長い1年間であったと思います。
被災地に温もりあれ!希望あれ!と念ずるばかりです。
物理学者として、また随筆家として著名な寺田寅彦先生は「天災は忘れた頃にやってくる」と言われ、防災の心構えの大切さを説いておられます。
しかし、決して忘れてはいない中、次から次と国の内外を問わず災害が発生し、特に福島第一原発事故で失ったものの大きさは計り知れません。今も放射線被爆の恐怖と対峙せざるを得ない悲しく辛い現実があることを忘れてはなりません。
このような絶望的な現実の中、昨年750回忌を勤めさせていただいた宗祖とも、ご開山とも言われる親鸞聖人が生きておられたならば、どんなことを言われ、どんな行動をされたのかなぁと憶念してきた1年間でした。
私にとって親鸞聖人は、困難な壁にぶち当たったときにいつも問い訪ねる方として存在しているのです。
そんなことを高校時代の同級生に言ったら、「もし親鸞聖人が生きておったらと、“もし”と仮定するのはおかしい!」「大体、死んだ過去の人が答えてくれる筈もないし、過去の人を引っ張りだしてくること自体がナンセンスであり、時代認識の欠如だ」「だから今の宗教家はダメなんだ」と言うのです。
私は彼に「君も今まで生きてきた中で壁にぶち当たり、挫折を感じたとき、問い訪ねていく人はいただろう」というと、「誰もいない。全て自分で考え自分で行動してきた」と言うのです。その時私は、問い訪ねる人がいてくれることのありがたさを実感しました。
北海道西念寺の鈴木章子さんのお言葉に、
「道に迷ったら、道を知っている人に尋ねるが一番。そのうちと思っていると、日が暮れてしまう」
私にとって親鸞聖人は、人生の道を問い尋ねる人なのです。
親鸞聖人は弘長2年(1262)に亡くなっておられますので、確かに遠い過去の方です。ご遺骨は京都東山大谷に納められ、とうの昔に土に還って具体的生身の姿・形はこの世のどこを探しても存在しません。しかし、聖人は、聖人を慕い聖人を偲ばれる人々の中に生きておられます。本願寺八代の蓮如上人の『御俗姓御文』に「御遺訓ますますさかんにして」とありますように教えの言葉となって生きておられるのです。
これは私たちに先立って亡くなられた方も同様でしょう。亡くなった方の思い出話を語るところに思い出となって生きられ、亡き人を偲ぶ我が胸の中に生き続け、親なら親の言葉を思い出したとき、言葉となった親と出遇えることがあるのではないでしょうか。
もし、親鸞聖人が生きておられたならば、被災地にて黙々と後片付けに汗を流され、肉親を亡くされて将来に絶望して泣いておられる方のとなりに座り、共に悲しみ、共に泣いておられることでしょう。
新潟県出身の金子大榮先生は、
「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ 涙は涙にそそがる涙にたすけられる」
(『歎異抄領解』)
と言われます。大切なお言葉です。
共に悲しみ、共に涙を流して泣いて下さる方こそ宗祖と呼ばれる親鸞聖人です。
私にとって親鸞聖人は「今現在説法し、現にましまして法をときたもう」方、つまり今も現に存在し、教えを説いてくださっておられる方です。人生の歩む道を問い訪ねさせていただく方として受け止めさせていただいています。