ラジオ放送「東本願寺の時間」

今泉 温資(新潟県 願浄寺)
第三回 絶望を転じ、希望に生きる音声を聞く

 本願寺八代の蓮如上人は「わかきとき、仏法はたしなめ」(『蓮如上人御一代記聞書』)と仰っておられます。これは道理に叶った言葉でしょう。
 どんな仕事でも若いときに身につけた技術は一生の宝となります。農業も漁業も林業のお仕事も職人さんのお仕事も・・・。 若いときは吸収力抜群ですし、いったん覚えたものはなかなか忘れません。しかし、年を取るとどうしても記憶力は減退し、物忘れも多くなります。これは仕方のない現実です。
 実際、こんなことがありました。50歳を過ぎた男性が親鸞聖人がお書きになった偈(うた)である『正信偈』を教えて欲しいと毎月私の所に通われ、お勤めの本を開いて「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と上手になるまで約3年かかりました。
 一方、春休みに小学生を集めた子ども会では、初めてお寺の集いに参加した児童でも2日もしますと上手に言えるようになります。もちろん個人差もありますが、50歳すぎると3年、小学生は2日です。
 このように蓮如上人の言われた「わかきとき 仏法はたしなめ」のお言葉は、いかに若いときの経験・体験が大切であるかを教えています。
今から30年前、当時新潟大学医学部に在籍していた医学生よりいくつかの質問を受けたことがありました。
 彼は乳幼児のときよりおばあちゃんにおんぶされながらおまいりの場に身を置いていました。今も彼は教えを聞く場を大切にしています。
医学生であった彼にとって、おまいりの場におばあちゃんに連れられて座ったことが彼の人生にとって大きな意味を持った出来事になったのです。
彼からの質問のひとつは「浄土真宗の教えの要を敢えて一言で表現するとするならば、どんな言葉になるのでしょうか」ということでした。私は、

  「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」
  (『歎異抄』第2章)
  「念仏成仏これ真宗」
  (『浄土和讃』)

であると言いました。この2つの言葉は親鸞聖人の直接のお言葉であると。そして、私はいつも浄土真宗を表現する言葉として「絶望を転じ 希望に生きる」教えといただいているんだよと申しました。
 身に起きた様々な辛く悲しい出来事を断じ、断ち切って生きるのではなく、身に起きた具体的な苦しい現実を転じていく世界こそが親鸞聖人が出遇い、顕らかにされた浄土真宗の世界なのだと彼に伝えました。
 親鸞聖人の代表的な著作である『教行信証』に「悪を転じて 徳を成す正智」(総序)、また「悪業を転じて 善業と成す」(行巻)と示されておられます。絶望すら厳しい現実が転じられ、希望に生きる確かな世界を教えて下さった世界こそ浄土真宗そのものであると表現しておられます。
そういう言葉を見るにつけて、高校時代の校長・池政栄先生の言葉がよみがえります。先生は、

  「もうダメだと思う向こうに必ず道あり」

とおっしゃっておられました。わたしは、この言葉にどれだけ多くの方が救われてきたかを知っています。先生ご自身も親鸞聖人の教えに出遇ってこられた方ということを後から伺いました。苦しみがなくなるのではない、苦しみ、悲しみの出来事を絶望しない世界が開かれてくるのです。
 親鸞聖人が教えて下さった世界は「断」、断つ、ではなく「転」、転じていく世界なのです。

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