ラジオ放送「東本願寺の時間」

今泉 温資(新潟県 願浄寺)
第二回 伝説となって民衆に記憶されてきた親鸞聖人音声を聞く

 以前、依頼を受けて歴史の先生方を親鸞聖人にゆかりのある御旧跡に案内したことがありました。全ての日程を終え、お別れのときに代表者が案内してくれたことの御礼を言われた後、「こうして親鸞聖人の御旧跡をまわればまわるほど、これらの伝説が後世の人によって勝手に作られたものであることがハッキリしました」と言われました。私はギョッとして、「一体どういうことですか?」とお尋ねしました。新潟県には越後七不思議と呼ばれる親鸞聖人にまつわる伝説があります。例えば、親鸞聖人が三年ほど滞在した鳥屋野を立ち去るとき、手に持っていた杖を土に差し込んで、こう言われたそうです。「もし私が申す旨がまことであるならば、必ずやこの竹の杖より根が張り、やがては大きな竹林となるであろう」また、焼いた鮒が生き返ったり、焼いた栗から芽が出て一年に三度実をつける、などという様々な伝説があるのですが、一緒に御旧跡をまわった歴史の先生方は、「やはりこれは後世の人が勝手に作った話だ」と言うのです。そして、「今泉さん、その時の親鸞聖人の肉声を録音したものをお持ちですか?その時の証拠写真を持っておられるのですか?」と言われるのです。私は「800年前のことですから、テープレコーダーもボイスコーダーもデジカメもありませんでしたので親鸞聖人の肉声はもちろん写真もありません。ただあるのは“こうだったんだって、ああだったんだって”と伝えながら、親鸞聖人を偲ばれる名も無き越後の人々の中に伝説となって伝えられてきた歴史に敬意を表したいし、民衆が語り伝え記憶されてきた歴史の中にこそ親鸞聖人は生きてこられたと言っても過言ではありません」と申しました。
 以前、人は二度死ぬと聞いたことがあります。一度目は肉体が死んだ時、二度目は人の記憶から消え去った時だというのです。ということは人々の記憶に伝えられているならば、確実に生きているということになります。
 親鸞聖人の亡くなられる最後の言葉として伝えられている『御臨末の御書』に、

  ひとりいて喜ばば 二人と思うべし
  ふたりいて喜ばば 三人と思うべし
  そのひとりは親鸞なり

この言葉を教えてもらった幼い時、幼いながら親鸞聖人という方は雲の上の方でも威張った方でもなく、我々の喜びを我が喜びとされ、我々を“友”と呼びかけてくださっている方だと実感しました。また親鸞聖人の作られた歌である『正像末和讃』に、

  他力の信心得るひとを
  うやまい おおきによろこべば
  すなわち わが親友(しんぬ)ぞと
  救主世尊はほめたもう

とあります。他力の信心を得た人を敬い、大いに喜ばれ、世にあって尊いことを示されたお釈迦さまは「わが人生の親友」であると尊ばれ褒められる、と親鸞聖人はお書きになっておられます。
 お釈迦さまも雲の上の天上人でもなければ威張った人でもないことを確信をもって親鸞聖人は教え示してくださっておられるのです。
 人生の本当の親友とは楽しい時のみを共有するのではなく、苦楽をともに分かち合ってくださる方こそ一番大切な宝だと教えられます。共に喜んで下さる方によって、苦しみや悲しみは消えて無くならないけれど、身に起きた現実を担って歩むたくましい世界を友より賜ることがあるのです。
 伝説となって民衆の中に親鸞聖人は記憶され、人々の中に今も生き続け、言葉となって今もなお、法を説いてくださって存在しておられると私は信じます。

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