福島県南相馬市の木ノ下秀俊です。レベル7という最悪の原発事故から間もなく2年が経とうとしています。さまざまな情報が公開されるたびに汚染の現実が福島を生きる私たちの生活を一変させてしまいました。避難指示が遅れたため三ヶ月も危険な場所で暮らした人たちがいます。放射性物質の降るなか給水に並んだ人たちがいます。丹精こめて育てたお米からセシウムが発見された農家の人たちがいます。汚染されていると知らされてもそこに住むしかない人たちがいます。避難先から原発の収束作業に行く父親たちがいます。放射線量計を首にかけた子どもたちを毎朝送り出す母親たちがいます。母子の県外避難で離れ離れに暮らす家族がいます。甲状腺検査で異常を告げられた子どもたちがいます。
果たして本当に故郷に戻れる日はくるのか、本当に将来にわたって健康に影響はないのか、本当に子どもたちや妊婦にとって安全な地なのか、本当にこれからも農業を漁業を林業を生業として生きていけるのか、一見平常に戻ったかのような生活の中でも言いようのない不安は消えることはありません。その不安は闇となって私たちをのみこんでいこうとしています。
一昨年の夏、福島県の公園から子どもたちの姿が消えました。子どもたちの笑顔をマスクが覆い隠し、かわりに与えられたのは線量計でした。
子どもたちの溢れる笑顔こそが未来への希望。
かけがえのない未来のために、今、子どもたちに笑顔をとりもどす。
わたしたちは未来を絶対にあきらめない。
そのために今できることは何か、多くの人のそんな思いがひとつになって、福島の子どもたちのために学童保養の取り組みが全国で始まっています。これは一時でも子どもたちとその親を放射能の不安から解放しようとするものです。昨年の5月岩手県で行われた2泊3日の学童保養、小雨の中、芝生の上を走り回る子どもたちを見て胸が締め付けられる思いがしました。子どもたちの親は「ありがとう」と言いました、主催したスタッフは「よかった」と言いました。その言葉に嘘はありませんでした。けれど子どもが屋外を走り回るのは当たり前の姿です。それを特別なことにしてしまったのはいったい誰なのかと考えたとき、まずは私たち大人が子どもたちに「ごめんね」ということから始めなければならないと思いました。
原発事故以来、政治的な視点、経済的な視点、産業的な視点、教育的視点、医学的視点、様々な立場での議論が続いています。その中の何が正しいのか私にはわかりません。
原子力災害というのはある意味で人災です。人災であるがゆえに加害者と被害者がいます。しかし子どもたちのことを考えると大人はみな加害者ではないのか、それは「いのち」に対する加害者です。
「いのち」とは歴史です。今、私たちひとりひとりが、ここに在るということはそれぞれに両親があり、その両親にもまた両親がありと数限りないいのちの歴史を私のいのちは持っているということです。それと同時に今ここにあるいのち、子どもたちはやがて親になりまた数限りないいのちの歴史を紡いでいくいのちなのです。大無量寿経というお経の中に「去来現仏 仏仏相念」というお言葉があります。過去と未来と現在の仏様がお互いに念じあっておられるという意味です。このお言葉はまさにそんな「いのち」のすがたを教えて下さっているように思えてなりません。その「いのち」という視点こそが仏教徒のたちどころではないかと思います。