ラジオ放送「東本願寺の時間」

金石 潤導(北海道 開正寺)
第二回 願われてある 2音声を聞く

 昨年の3.11以降、「福島を忘れないで下さい」という言葉が胸に響きます。今日はそのことについてお話ししたいと思います。
 親鸞聖人のお言葉を集めたご書物、歎異抄はあまりに有名であります。その第一章に「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて」というお言葉があります。現代の言葉でいうと「阿弥陀という仏様の願いの不思議にたすけていただいて」という意味です。「不思議とたすけられた」というお話ではありません。「仏様の願いとは不思議なのです」というお言葉です。その願いは人間の理知、分別のおよぶことのできない、人智を大きく超えた、はたらきであることを教えてくださっています。日ごろ、あたりまえにしていた事柄が、出会い気づいてみれば驚きの出来事であったというのが不思議ということなのでしょう。
 現代を生きる私たちは、驚くことも感動することもなく、あらゆる事をあたりまえにしてきたのかも知れません。深い願いをかけられつづけてきた「いのち」を生きるものであったことを忘れ、自己関心という自らの思いに沈み、他者と本当に出会うことを遠ざけてきたのかも知れません。
 私の暮らす町の或る女の子の話なのですが、彼女は小学校に入学する直前に全身に大やけどを負うという事故にみまわれてしまいます。幼い彼女は、夕食の準備をしていたお母さんが台所を何かの用事で離れた隙に、夕食のメニューが気になったのでしょう、そのシンクによじのぼり、火のかかる鍋を覗き込みました。その時、コンロの火が彼女の服に点いてしまったのです。全身を炎に包まれ泣き叫ぶ我が子を前に、お母さんは必死にその火を消して救急車を呼びます。駆けつけた救急隊員の応急処置を受け、ヘリコプターで大きな街の救急病院に搬送されます。一命を取りとめたのですが、その後、半年以上にわたって入院生活を余儀なくされます。退院を前日に控えた日、彼女のお父さんに会うことができました。事故の様子を話して下さった後にお父さんは「娘はこの数ヶ月の間に危篤状態に三回なったのですよ。でも娘は生きてくれました」と静かに話してくれました。そして、続けて「でもね、これからも大変なんです。半年ごとに入院をして皮膚を移植しなければなりません。体育の授業は見学するよう、お医者さんに言われました。きっと勉強は苦労するだろうな、心無いイジメにあうかもしれないな。それに娘は女の子なんです。全身に広がる火傷の跡を抱えながら女性として生きてくのですよ」と目に涙を浮かべながら話してくれました。私自身、もらい泣きをしながら聞いておりましたら、次のお父さんの言葉に衝撃を受けたのでした。それは「でもな、私は娘が本当に生きていってくれるなら、どんな手伝いもしていきたいのです」という願いでした。お父さんにしてみれば、娘の痛みや苦悩を知ってあげることも、代わってあげることもできないのは百も承知のうえでの言葉です。本人しか感じようのない痛みや苦悩ではありますが、それを我が痛み、苦悩として丸ごと寄り添い、生きていく覚悟を決めた姿であったように思います。
 人はこの心に触れるからこそ、生きていけるのでありましょう。「あなたを絶対に見捨てません。あなたを絶対に差別しません」という願いです。人間の理知、分別を超えた不思議としか言いようのない深く、広い願いです。逆に人は、見捨て、差別する心で傷つけられると、生きていけないのでありましょう。ちいさい人たちの心は、まるで卵の殻のようなものであって、ひとたび傷つけられたならば元にもどることはありません。その傷をも包みこむ願いに、私たちは今日まで支えられ生かされてきたのでありましょう。
 被災地、福島には本当に多くの心に傷を負った人達がおられます。今こそ、深い願いをかけられつづけてきた一人として、決して福島を忘れてはいけないと思うのと同時に、自分自身にいったい何ができるのか心致さねばならないと思うのであります。

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