ラジオ放送「東本願寺の時間」

金石 潤導(北海道 開正寺)
第四回 願われてある 4音声を聞く

 3・11以降、支援とは何か、考えさせられます。今日はそのことについてお話ししたいと思います。前回は五つの不思議の一つ目と二つ目の話をさせていただきました。仏様の願いは人間の理知、分別のおよぶことのできない、人智を大きく超えた、はたらきであることを教えてくださっています。この不思議ということに五つございます。今日は、三つ目の不思議が教えてくださるお話です。龍力不思議といいます。想像上の動物の「龍」に、「力」と書いて「りゅうりき」と読みます。龍は雨を降らせるといいます。総じて自然ということなのでしょう。自然のはたらきというものは、私たちの想像を遥かに超える、そういう意味で龍力不思議といいます。昨年3月11日、東日本を襲った大震災は、そこに暮らす人々の生活の営みと大切な人を一息に飲み込み、あらゆるものを一瞬にして奪い去っていきました。私たちは、その自然の圧倒的な力に驚愕し只息を飲むばかりでした。津波は、過去の教訓により備えられた堤防を大きく越え、原子力発電所を破壊し多くの傷跡を残していきました。まさに人智を超えた力でした。また、一方で龍というのは仏法守護という話を聞いたことがあります。わたしどもの宗派、真宗寺院の多くは龍の彫刻を施した荘厳、かざりが成されています。それは自然崇拝ということでなしに、龍は仏様の教えを守るということなのでしょう。そこで一つの疑問がおこりました。どうして、人々の生活の営みや大切な人やものを一瞬にして奪っていくような自然の力、龍力というものが、同時に仏法守護であるのか、ということです。このことに、私は矛盾を感じ納得がいかなかったのであります。しかし、今年の5月、私自身が被災地であります陸前高田に赴きました時、そこに生きる或る一人の男性との出会いが、それを教えてくれたのです。その方は、陸前高田での当時の状況を辛いながらも話してくださいました。陸前高田は奇跡の一本松でご存知の方も多いかと思いますが、あの津波は松林をなぎ倒し、市の公共施設を襲いました。当時、津波からの避難場所として指定された市民体育館に多くの市民が避難をしました。そこに津波が襲ったというのです。津波は体育館を突き破り、海水が箱型の体育館を満たします。渦を巻きながら水位が上昇する中に避難した人々がいたというのです。それは私たちの創造を絶する凄惨な状況であったのでしょう。
 或る親子は、共に庇い合うように手と手を繋ぎ、助かろうとしましたが猛威は収まることなく、繋ぎ合わせた手を振りほどいて離れ離れにしてしまいます。その中で、共に助かろうとしながらも、一人が助かり、一人は亡くなったという例は幾つもあったと聞きました。助かった人も自らに深い傷を負いながら、トラウマを抱え、どうして自分だけが助かってしまったのだろうかと、自分を責めながら今を生きているといいます。
 そして、震災後一年と2ヶ月経過した今、必要とされる支援の話をされました。それは、我々被災者は、震災から多くの人々に衣食住を支えてもらいました。そのことは本当に有り難いと感謝しているのです。感謝してもしきれないぐらいの支えをいただきました。しかし、衣食住は人生の横糸なのです。どうして自分だけが助かってしまったのだろうかと自分を責めながら今を生きている人が、人生の縦糸を見出せないまま衣食住を支えられるのです。これは実はとても辛いことなのです。人は衣食住だけでは生きられないのです。生き甲斐が欲しいのです。縦糸とは、私をして人生の一切を貫き意味を与えてくれる糸です。辛く悲しい出来事を体験し、苦労してもなお、生きることを促して止まない願いを感じたいのです。そして、今後もまた支援してくださるのなら、共にこのことを考えていただきたいのです。と語ってくださいました。仏様の教えを説くお経が、縦糸と横糸で著されるように、私はこのことを龍力不可思議と考えます。3・11以降、支援とは何か、本当に考えねばなりません。

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