昨年の3・11以降、いろいろな事実に心が動かされました。日がたってその衝撃も薄れてきたことは否めませんが、私は今一度、心致さなければならないと思っています。被災地には、「人」が生きているのです。そのことについてお話ししたいと思います。前回は、歎異抄第一章の「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて」ということについて、お話しさせていただきました。現代の言葉でいうと「阿弥陀という仏様の願いの不思議にたすけていただいて」という意味です。「不思議とたすけられた」というお話ではありません。「仏様の願いとは不思議なのです」というお言葉です。その願いは人間の理知、分別のおよぶことのできない、人智を大きく超えた、はたらきであることを教えてくださっています。日ごろ、あたりまえにしていた事柄が、出会い気づいてみれば驚きの出来事であったというのが不思議ということなのでしょう。
この不思議ということに五つございます。一つ目の不思議が教えてくださるのは、私がこうして生きてある、ということは様々なお陰、計り知れない支えによって成り立っている、ということであります。
衣食住を考えてみても、やはり様々なお陰、計り知れない支えをいただいているのが私たちであります。生まれながらに誰かの庇護を受けて育てられたのでしょう。生きるための一切の条件は、与えられてきたということに尽きるのではないでしょうか。
よく自らのルーツを探す、という話を聞きます。何代か前の先祖がいかに生き、何を成したかというようなことを調べるというのです。それを否定するつもりはございませんが、ご先祖のことをすべて調べつくすことができるのかどうか、と思っています。なぜなら私が誕生するためには両親がいたように、その両親にも両親がいました。このことを計算していくと10代さかのぼれば1024人の親がいることになります。20代さかのぼれば100万人を超えるそうです。ただしイトコどうしの結婚などの事情で必ずしも実数ではないともいえます。このことについて或る方が「10代さかのぼれば1024人の親、一人欠けても私は生まれませんでした」とおっしゃっていましたが、理屈はわかりますが屁理屈なのでしょう。仏法、仏様の教えに「たら、れば」という仮定の話はありません。私が生まれたという事実は、10代さかのぼれば1024人の親がいたということです。さかのぼり数え続けるならば計り知れない親がいるのでしょう。そして、その一人ひとりにかけがえのない人生があったということです。始まりすら分からない「いのち」の歴史のなかで、私にまでなった「いのち」を今、生きているのでしょう。ですから私なんて、という自分を卑下する必要もなく、ましてや私のものとしての「いのち」の私有化は、決して成り立つことはないのでありましょう。私の思いを遥かに超えたお陰、計り知れない支えによって生きている、というのが一つ目の不思議であります。そして、始まりすら分からない「いのち」の歴史のなかで、私にまでなった「いのち」の「はたらき」を二つ目の不思議といいます。
なぜともなしに、私にまでなった「いのち」が不安や虚しさを感じさせる不思議があるというのです。私にまでなった「いのち」が自らに「それは本来の生き方ではない」と教えるのです。一生懸命に真面目に尽くして生きて来たにも関わらず、言い知れない不安や胸にポッカリと穴の開いたような虚しさを感じるのは、「いのち」そのものが本当の満足を求めているからなのでしょう。そこに人間としての「いのち」の「はたらき」があります。
悩み苦しむからこそ求めることがあるように、「いのち」そのものに共に生きたいという深い要求があるのです。全ての「いのち」が、悔いなき人生を送りたいと願って止まないのでありましょう。被災地には、「人」が生きているのです。そこには人間としての「いのち」の要求があります。