ラジオ放送「東本願寺の時間」

木戸 尚志(島根県 正萬寺)
第一回 お寺の掲示板 その1音声を聞く

 今回「現代と親鸞」というテーマをいただきまして、私は「現代に生きている私自身に、親鸞聖人の教えはどのようにはたらいているのか」と、受け止めて考えて参りたいと思っています。
 そのことの手掛かりとして、私どもの真宗大谷派では、親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」ということを最も大事な仏事として、お寺においても、また一般信徒であるご門徒の家庭においても、毎年勤められています。浄土真宗の仏事は「報恩」の仏事だと言われています。「報恩」とはご恩に報いていく、「講」とは人の集いということです。つまり、浄土真宗で勤める仏事は、すべて「報恩講」ということを根っこに据えて、それを大事にして勤めていくということが願われているということです。この「報恩」ということは、突き詰めて言えば、今、私たち一人ひとりが、何らかの形で親鸞聖人の教えというものに、本当に出遇っていくということではないかと私は受け止めています。今回そのことを六回のお話しとして、申し上げていくことができればと思っています。
 それで第一回として「お寺の掲示板」ということでお話しいたします。真宗大谷派で出版されている「真宗」という機関誌があります。その中に「お寺の掲示板」というコーナーがありまして、全国の真宗大谷派のお寺の掲示板が紹介されています。今回そのコーナーにたまたま、私どものお寺、正萬寺の掲示板が紹介されることになりその取材を受けました。
 正萬寺の掲示板は、ちょうど正門の横が路線バスの停留所になっていて、その停留所の壁面がお寺の掲示板になっています。バス停でありますから、必ず不特定多数の人が立ち止まる場であり、国道から旧道への入り口になっていて、自動車に乗っていても正面に掲示板が目に入って来ます。それに停留所の壁面一杯に掲示板が掲げてありますので、遠目にもよく見えるという利点があります。この掲示板には毎月初めに言葉を変えて掲げています。内容は、直接真宗の教えの言葉であるとか、色々な角度、方向から真宗の教えというものを表現している言葉であるとか、そのように多岐に渡っています。
 実は、この掲示板の言葉を選び、毎回肉筆で言葉を書いていましたのは、前住職である私の父でした。このようにバスの停留所を本格的にお寺の掲示板にするようになって、四十年以上の月日が経っているということです。ですからこの取材も前住職の話を中心に行われました。もちろん私も同席して、前住職の話を聞いていたのですが、掲示している短い言葉が人に伝えていくもの、人に及ぼしていく影響というものに、結構大きなものがあるということを改めて考えさせられました。四十年以上書いてきて、その肉筆の文字そのものが醸し出してくる魅力とか、味わいというものがともなって、言葉が人に伝わっていくということもあるでしょう。やはり短い言葉そのものが人の心を打ったり、動かしたりすることが確かにあるということを改めて感じました。そして、四十年以上ずっと掲示伝道という仕事を続けている父の姿というものに、本当に地味な活動でありますが、それこそ地道な教化活動というものを教えられました。
 今まで、四十年余り掲示して来て、その間に掲示板に関わることで特にあった出来事として、これは見ず知らずの人であったそうですが、「いつも通りすがりにこの掲示板の言葉を見ていて、時に勇気付けられたり、癒されたり、心を動かされたりすることがあります。どうかこのまま掲示伝道を続けていって欲しい、何かそのための足しにでもなれば」と。そのような手紙を添えて、現金封筒でお金を送って来られた方があったそうです。また掲示していた言葉が気に入って、是非家に張っておきたいから、書かれた紙ごと譲って欲しいという申し出も何度かあったそうです。それからこれは今も時々あることですが、法事の時とか、普段の生活の中でも、掲示されている言葉について色々と尋ねてこられる人があります。そのようなことから、お寺の掲示板というものが、親鸞聖人の教えを素朴で単純な形で人に伝え、つないでいくはたらきとして、大きな役割を果たしていること、そして、その教えに本当に出遇っていくということが、深く願われている場所であることを改めて考えさせられました。

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