ラジオ放送「東本願寺の時間」

木戸 尚志(島根県 正萬寺)
第三回 報恩講音声を聞く

 私は、真宗の教えとして大事にされている「報恩」、ご恩に報いていくという言葉を手掛かりにして、その「報恩」ということは、私たち一人ひとりが何らかの形で、親鸞聖人の教えに本当に出遇っていくことではないかと受け止めまして、考えて参りたいと思っています。
 浄土真宗で勤める仏事は、それらは全て、親鸞聖人のご命日の法要として勤める「報恩講」ということを根っこに据えて、それを大事にして勤めていくということが願われているということです。親鸞聖人の教えというものが、人から人へと伝わりつながっていく、そういう場として、この「報恩講」というものは、お寺はもちろんのことでありますが、それが一般の信者であるご門徒の家庭においても、長い歴史を通して、私たちの先輩や先祖の門徒の方々の手によって大事に勤められてきたという、言ってみれば浄土真宗の一つの生活文化というものであるかと思います。しかし近年は残念ながら、そういう浄土真宗の生活文化といわれているものが、次第に消えつつある、無くなりつつあるという現状があります。その中でこの「報恩講」というものは、内容はともかくとして、現在辛うじて浄土真宗の生活文化としてつながってきているものの一つではないかと思います。
 これは門徒さんの各家庭において勤めていく報恩講で、最近深く印象に残っていることです。それは、ある門徒のおばあさんの話でありますが、このおばあさんはちょっと前までは、まだ体もよく動いておられて、精力的に習い事をされたり、山の中の柚畑の世話も熱心にされておられましたし、本山の奉仕団研修にもご一緒に参加したのですが、最近は大分弱ってこられて、週のほとんどを介護サービスを受けられている状態です。このおばあさんは以前からそうでありましたが、お寺での行事や、仏法の集いにも熱心に通われ、お寺に参られた時は、耳が遠いということもあっていつも真ん前に座っておられました。また家での報恩講も大事に勤めてこられました。以前はいつもお飾りの餅や食膳まで、自分で作られて用意をされておられました。最近、弱ってこられてからも、その時、自分が出来得る限りの準備をされて待っておられます。
 そのようなこのおばあさんの姿勢は、住職である私に対する姿勢ではありません。言うならば、私が着けている袈裟、衣、お経というものに対して、つまり、仏様というものに対して、それを敬い、尊ぶ関わりを持つという姿勢であるかと思います。そういう姿勢というものが、ごく自然に現れ出ているのだと思います。そのような姿に接しておりまして、頭の下がるような思いをしていたのですが、先般体調を崩されて長期に渡り入院をされることがありました。その年の報恩講を休みまして、一年おいてお参りに行きましたところ、やはり、いつもと同じように準備をされて迎えていただきました。そしていつものように一緒に、親鸞聖人がつくられた詩である「正信偈」のお勤めを始めたのですが、このおばあさんは以前から耳が遠く、いつも私のすぐ後に座ってお勤めをされるのですが、この時は以前より増して聞こえにくくなっておられて、私の背中にくっつくようにして座られて、しばらくすると私の衣の袖を引かれて「正信偈」の本の開いた所を指し出されるのです。つまり、耳が遠くてお勤めの声が十分に聞こえないから、今どこを読んでいるのか示してほしいという仕種なのです。何かそうやって二人で一緒に、途中で止まりながらゆっくりと「正信偈」のお勤めをしておりまして、これは私自身はじめてのことであったのですが、このおばあさんの報恩講というものに、その不自由な体のままで本当に大事に関わって行こうとされている、その姿に何か感動を覚えて胸が熱くなってきて、私の方がお勤めに詰まってしまうということがありました。当に、私たちの多くの先輩や先祖の門徒の方々が長い歴史を通して、人から人へとつないできて下さった、仏様を敬い、仏様を尊ぶ関わりを持つという、浄土真宗の生活文化というものが、このひとりのおばあさんの中に、しっかりと息づいていることを強く感じました。

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