ラジオ放送「東本願寺の時間」

木戸 尚志(島根県 正萬寺)
第五回 報恩講で願われていること音声を聞く

 報恩講は、親鸞聖人のご命日を機縁として、そこに人が集まり、親鸞聖人の御法事を皆さんと一緒に勤めていくということがその内容です。それはつまり、親鸞聖人が生きられた九十年の人生を通して、その生涯をかけて後に残って生きている私たち一人ひとりに向けられている親鸞聖人の眼差しというものをしっかりと尋ねていく、受け止めていく。そしてそのことをまた、人から人へと伝え、つないでいく営みというものこそが、私は報恩講というものではないかと思っています。
 「報恩」ということは、ご恩に報いていくということです。それは親鸞聖人が、その九十年の生涯をかけて、後に残って生きている私たち一人ひとりに向けられている眼差しというもの、投げかけられているものに対するご恩に報いていく。報いていくということは、そのことをしっかりと尋ね、受け止めていくということです。つまり、私自身が何らかの形でその眼差しに出遇っていくということだと思います。そして「講」というのは人の集いということです。昔の真宗門徒の方々がそういう人の集まりの中で、次の世代に託するように言われた言葉だと聞いていますが、「先祖の法事は忘れても、報恩講だけは忘れるな」と、この言葉には日常生活の中で、仏様を敬い尊ぶ関わりを持って行かれた門徒の方々の、報恩講というものを何より大事にし、そこに込められている深い願いのようなものを感じます。
 それでは、親鸞聖人がその生涯をかけて、後に残って生きている私たち一人ひとりに投げかけられているもの、向けられている眼差しというものは何であるのか、そのことに本当に出遇うということがないならば、「ご恩」と言ってもわからないわけです。それはやはり、浄土真宗の教えの中心、最も大切にされていることであり、昔から繰り返し語り尽くされてきた言葉ですが、「どうか南無阿弥陀仏の念仏に出遇われて、念仏申して生きて行って下さい。それが人間の本当の救いなのです」と。この一言に尽きるのではないかと思います。しかし私たち人間は、この念仏を申して生きていくということがそのまま受け止められない、それにそのまま頷くことができないという、やっかいな問題を抱えているかと思います。その問題を考えてみることで、一つご紹介したい文章があります。
 京都市内の真宗大谷派の僧侶のみなさんが発行している冊子に、中川春岳さんという方が「住職日記」を連載されていました。中川さんが亡くなり、その連載を仲間の僧侶の方が一冊の本にまとめられたのです。中川さんが街を歩いていた時のこと、一人の女性に「社長」と声をかけられました。その場面から朗読します。

  

 いつかの底冷えの日、「社長、ええとこつれていく。ちょっと寄って」彼女に誘われた。それがどういう店なのかは熟知している。私は断りの手を振り乍ら、「ああ、またな」と言ってから「風邪ひくなよ」何気なくそう言った。彼女は大きく目を見ひらいて私を凝視し「おおきに、社長もな」そう言って表情をゆるめた。それから会う度に「寄ってえな」「またな」を繰り返し、手を振って別れるのである。「誘うた客に『風邪ひくな』と声かけられたの初めてやった」彼女はそう言った。私は彼女の身を気づかって言った訳ではない。どんな境遇を生きる人かは定かではないが、余程、人の言葉に飢えていたのではあるまいか。言葉はそれを発した者の所有ではない。聞きとった人のものだ。「念仏申せ」この言葉が聞き取れない。念仏となえたらどうなる?そんな思念がよぎる。念仏となえたくらいで助かる訳がない。そう断定する。断定するというより確固たる予断がある。はじめから馬鹿にしている。我が心の命ずること以外は信用できない。「風邪ひくなよ」そんな何気ない一言に感応する魂が引きずってきたものは、おそらく侮蔑と屈辱の生ではなかったか。それはわからぬ。が、善人、賢者の位置に自分を置く限り、「念仏申せ」という一言を聞き取ることはできまい。

 以上、平成19年発行『住職日記』より抜粋いたしました。
 「どうか念仏申して生きていってください」という一言、あるいは「南無阿弥陀仏」という一言に感応して、それを本当に聞き取っていく魂というものはいったい何であるのかということが、当に問いかけられている一文ではないかと思います。

引用は、『住職日記』平成19年発行 京都大谷クラブ編、中川春岳著より抜粋

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