ラジオ放送「東本願寺の時間」

宮部 渡(大阪府 西稱寺)
第一回 覚りとは何か音声を聞く

 去年の冬、日ごろから仲のいいお坊さんばかり7人でお釈迦様の足跡を訪ねてインドへ旅をさせていただきました。最初に訪れました聖地はブッダ・ガヤーです。お釈迦様が前正覚山での6年間の苦行に敗れ、菩提樹の木の下で49日間瞑想を続けられ、ついに覚りを得て仏陀と成られた場所、仏教徒にとって最高の聖地と言えます。アショカ王が建立されたマハーボディー寺院のすぐ裏側にお釈迦様が座られた場所を示す石の台座があり金剛宝座と呼ばれています。その前で、今もなお、仏陀が座して居られるかのごとく、国、民族を超え、世界中の仏教者がそれぞれの流儀で深い礼拝をくり返しています。時空を越えた仏教のはたらきを目の当たりにし、言葉では語りつくせない感慨をおぼえたことです。私たちも、親鸞聖人がおつくりくださったうた、『正信偈』をお勤めしてまいりました。
 さらに圧倒させられるのは、その金剛宝座の周りを覆い尽くすかのように茂る菩提樹の大木です。日本においてもいくつかの名の知れた大木を目にしたことがありますが、それらとは比べようのない、暑い国インドならではの、いかにも生命力に満ちた、横へ横へと枝を張る木がそこにあります。お釈迦様が、この地で瞑想されたのは2500年も前のことですから、もちろん、当時の木が現在まで残っているわけではありません。その木の末裔といわれ、3代目の木であるとのことです。それが事実なら随分長生きの木といえましょう。
 ここで、私たちを案内してくださった現地のガイドさんから、「では、お釈迦様は、なぜ、この大きな菩提樹の下で瞑想をされたか、ご存知ですか?」と訊ねられました。
 いきなりの問いに正直ドギマギするばかりでした。私は、どこか、このことを遠い国の物語としてしか聞いてこなかったからでしょう。日本で仏教を学び、語る立場にありながら、なぜ、菩提樹の下で?という疑問すら持ったことが無かったのが本当のところです。苦し紛れに、「強い日差しを避けるためではありませんか?」と答えてみました。
 ガイドさんは、ニヤリと笑い、何か神話じみた話でもするのかと思えば、
「もっと、決定的な理由があります。それは、この菩提樹の木が、植物の中でも特に酸素を多く出してくれる木だからです」と、極めて現実的な答えを教えてくれました。お釈迦様は、まずもって苦行で疲れた身体を回復させなければなりませんでした。そして何よりも、瞑想のために脳を活性化させる必要があったのでしょう。いのちそのものを表現しているかのごとくの生命力に満ちた母のような菩提樹に抱かれながら、座禅を組まれる、人間、シッダールタが目に浮かびます。
 私たち人間を含む動物は空気中から酸素を吸い二酸化炭素に変えて放出します。植物は動物の吐き出した二酸化炭素を吸収し酸素に変えて空気中に吐き出してくれています。このことからも、すべてのいのちは、お互いが存在しなければ成り立たない存在であると、大いなる一つのいのちと知らされます。
 菩提樹に抱かれながら、いのちの原風景ともいえるなかで、お釈迦様は「縁起の道理」を覚られたのでありました。私は、そのことを、圧倒的生命力を誇る菩提樹の木に出会い、初めて実感できたのです。
 お釈迦様は覚りを開かれる前から、大いなるいのちの働き、阿弥陀様の願いの働きの中においでになったのです。そして、その働きによって、如来、仏様となられたのです。阿弥陀様の願われたあらゆるいのちとともに生き、差別や、殺戮のない世界、浄土を明らかにし、それを多くの人に伝えることに生涯を尽くしてくださったのです。
 その感動を、親鸞聖人は、ご自身がおつくりになったうた、『正信偈』のなかで、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」、お釈迦様が、この世に如来として現れてくださったのは、海のように深く広い阿弥陀様の本願のはたらきを説くためでありました、と表現しておられます。
では、お釈迦様から、無数の先人たちにより親鸞聖人まで、国、時代、民族を越えて伝わったこの教えは、現代社会にどのような救いをもたらしてくれるのでしょうか?
 次週から、考えてみたいと思います。

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