ラジオ放送「東本願寺の時間」

安本 浩樹(広島県 專光寺)
第三回 であいが開く人生Ⅰ音声を聞く

 春はわかれとであいの季節、といわれますが、どなたの人生にも忘れられない別れ、また、その人の人生を決定づけるようなであいがあるのではないでしょうか。
 数年前、ある俳優さんが、インタビューを受けられる中で、「人生にとって大切なことは、人とのであい、特に身を捨てても悔いがないという人間にであえたかどうか、ということです」と語っておられました。この方は長い俳優人生の中で、そういう厳しく仕事に向きあう方々にであってこられたのでしょう。そういうであいが、この方の多くの人の胸を打つ演技を培ってきたのであろうと感じました。
 親鸞聖人にとって、師匠である法然上人とのであいは、どのような意味を持つものでありましょうか。69歳の法然上人を29歳の親鸞聖人が訪ね、教えを聞かれた。このお二方がであわれなかったならばお念仏の教えを聞くことは私たちには叶わなかったことでしょう。
 親鸞聖人が書かれたものの中に「雑行を棄てて本願に帰す」『教行証文類』(真宗聖典399頁)というお言葉があります。
 これは、「仏様の願いをただ一つの拠りどころとして生きる」という意味です。
 道を求めるが故に道に迷い、行くことも帰ることもできず立ちすくむ親鸞聖人に、苦しみ悩む人々のためのものとして開かれた教えがある。その教えとのであいは、親鸞聖人の人生にしっかりと根をおろし、その苦悩の人生を意義あらしめたであいであります。
 親鸞聖人は『歎異抄』という書物の中で、
「たとえ法然上人にだまされて、念仏を申して地獄に堕ちたとしても、私は決して後悔などしない」と申しておられます。
 人と人とがであうということは、そのであいの底に流れているもの、でおうた人の背後にあるもの、それにであっていく、それを確かめていくということでありましょう。この時親鸞聖人は、法然上人の底にあって、法然上人を法然上人たらしめているものにあわれた。それは法然上人という人を生みだしてきた仏教の歴史であります。その歴史を親鸞聖人がしっかりと確かめられましたのが、同じく『歎異抄』にある
「阿弥陀如来の本願が真実であるからお釈迦様の教えは偽りではなく、善導大師の教えも、また善導大師の教えを大切に頂かれた法然上人のおおせも真実であります」とのお言葉です。親鸞聖人は法然上人という方に阿弥陀如来のはたらきを仰がれた。この方はただびとにましまさず。この方とのであいによって私は、いつから迷い始めたのか、そしてどこまで流転してゆくのかわからない人生から、決して空しく過ぎる事のない人生、迷ったことも無駄ではなかったとうなづける人生を賜るのである、と。
 承元元年、西暦1207年、法然上人の吉水における念仏の集まりは、朝廷の弾圧により解体され法然上人は土佐の国へ、親鸞聖人は越後の国へ罪人として流されていきました。お二人のであいはこのようにして東西に引き裂かれていきましたが、お念仏の教えは朝廷の意に反して、衰退するどころか益々盛んになっていったのであります。まことに、念仏の教えの、大地をみるみる覆いつくす雑草のような勢い、たくましさを感ずることであります。
 親鸞聖人は、この時を境にして生涯二度と法然上人とおあいになることはありませんでした。しかし、法然上人と距離は遠く隔たっても、また後にその法然上人が先立っていかれても、いつも親鸞聖人にとって法然上人は、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という一言のもとにつながっておられた。お二人のであいはその人生を尽くして、限りなくであい続けていかれたであいなのでありましょう。
 お二人がであわれてから今日まで八百年以上の時が経過しましたが、今なおこのであいは私達の上に大切なであいを開き続けて下さいます。新しいであいはもちろんのこと、先立っていかれた大切な方、また、家族や身近な方とであいなおしていく。そして自分自身ともであっていく。
 改めてこのお二方のであいを我が身の上に確かめてみたいと思うことであります。

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