11月21日から28日まで東本願寺では一年の最も大切な仏事としての報恩講、親鸞聖人のご命日の法要が勤められます。28日の最後の法要で、前回も申しましたが、恩徳讃、という和讃、親鸞聖人のつくられたうたを皆でお勤めして報恩講は締めくくられるのです。
一夜明けて29日、前日までの賑やかな報恩講のおかざりは平常のおかざりへと戻され、いつものあさのお勤めが始まります。ただ、お勤めされる和讃は、仏智疑惑といって、仏様の智慧を疑うという和讃であり、続いて拝読される本願寺第8代の蓮如上人のお手紙は「お浚え」と呼ばれるお手紙なのです。これは前日、声を限りに仏様のご恩の深いことをほめ讃えた。しかし、その舌の根のかわかぬうちにもう既に仏様の智慧を疑うという心が、私の奥深いところに兆し始めている。ここのところをしっかりと見ていくのです。
「細やかに、信心の溝を浚え、教えの水を流していくのです」。との教えをお聞きする29日のお勤めなのでありましょう。
私は、この蓮如上人のお手紙に接する度に、ある方からお聞きした話を思い出すのです。
かつて郵便局がまだ民営化されていない頃だったと記憶していますが、郵便配達にこられた局員の方から「棚田」の話をお聞きしました。この方は私の住むまちの隣のまちから通勤しておられる方ですが、その方のまちには「日本の棚田百選」にも選ばれている「井仁の棚田」があります。
その郵便局員さんは、「近年いろいろな所で紹介され、注目されるようになりましたが、ご存知のように棚田の形態は、山肌に貼りつくようにして、段々畑のように築かれている田ですから、一枚一枚が狭く、三日月のような形をしています。したがって、大きな農業機械も使えず、田起こし、田植え、稲刈り等の農作業にはかなりの人手と手間がかかります。
何年か前から、このような折々の農作業を広島市近郊の方に呼びかけて、ボランティアとしてこの棚田にきてお手伝いをしてもらっています。
多くの方々がこの棚田を見て「素晴らしいですね。昔の方々はよく人力で、このような石垣を積み、美しい棚田をつくられたものですね。」と言って下されば、なんだか私の手柄のように嬉しく思います。けれども折角遠くから来られた方々に私はもう一つ是非とも見て頂きたいものがあるんです。」と言われました。私が、「それは何ですか。」と尋ねますと、その方は「水路です」と、答えられました。
さらに続けて、「棚田というものは、限られた土地の中で、有効に田地を築こうとしたため、山の斜面に沿ってかなり高いところあたりまで田地がつくられています。その田には必ず水があたる、水が流れてくるというのが欠かせない条件です。水は高いところから、低い方へ流れる道理ですから、田が高いところにあれば、水はその田より標高の高いところから引き始めなくてはならない。自ずと川のかなり上流の方から水路を引き始めないと水は流れてこない。上流から水路を引き始めるということは水路もかなりの長い距離になるのです。その水路を私たちの先祖はよくぞ引いて下さったものだと思うのです。ですから棚田を見に来て下さった方には是非とも水路も見てほしいと思うんですよ」と、話して下さいました。この方いわく、棚田を棚田たらしめているものが「水路」であると言われるんですね。
思えば私たちにも棚田の水路のように、はるか川の上流から、歴史をさかのぼって、本願念仏の教えの水が流れきたるように、しっかりと水路が取りつけられている。傲慢なこの私に水路をとりつけるご苦労は計り知れないものがあったことでしょう。それでは私は何をさせていただけばよいのか。
「細やかに信心の溝を浚えて阿弥陀如来の法の水を流しなさい。」
蓮如上人は、遠く五百年の時を超えて申しておられるのであります。