先日、私どもの寺の若い人たちが集まる会で、「ふるさと」が話題になりました。話のきっかけは、東日本大震災でふるさとを失った方々、まだふるさとに帰れない方々の話からでした。東京にいますと、私も、特に若いときには、「ここ東京が私のふるさと」と考えるような思いはありませんでした。参加者の一人は、親の仕事の関係で転勤があり、自分にふるさとはないと思っていたと話されていました。でも、あるジャーナリストが、自分も東京生まれでふるさとはないと思っていたけれど、あるキリスト教の修道院で10日ほど過ごした時間が、いまの自分にとってのふるさとになった、と話していたことを紹介してくださり、生まれた所やある一定の場所だけがふるさとということではないんだと考えさせられたと言われました。
その話から、「ふるさと」という言葉の中には、人や自然、臭いや光や風、味や時間などなど、様々なものとの関係としてあるんだという話になりました。場所というのは、それらを包む象徴的な事柄です。そして、それらはまた、その人にとって自分を最後に支える事柄にもなります。しかし、そのどれであっても切り離されてしまうと、ふるさとに陰りがでてしまいます。
もう亡くなられてしまいましたが、隣に住んでおられた90を過ぎたお婆さんが、毎朝、ご自分の家の前と寺の門前をお掃除くださっていました。その隣のお婆さんと立ち話になったときこんなことを言われました。「そういえば、誰々さんが亡くなられたそうですよ。最近会わないしどうしているかなぁと思っていたんだけれど。町会の掲示板にでないものだから。全く知らなかったねぇ。寂しいねぇ、この町で一緒に生きてきたからねぇ。お別れぐらいしたかったのに」と本当に残念な表情をされていました。
お元気でしたが、時折出てこられないこともあって、どうしているのかなぁと思っていると、あまりに暑かったからとか、寒かったからなどと言われて、また掃除をしてくれていました。
しかし、そのお婆さんも、私たちの知らない間に亡くなられていました。息子さんの家の近くにご入院されたようで、そこで亡くなられ、その近所でご家族で葬儀をされたと後でお聞きしました。今の時代、東京では親と一緒に住むことが難しい状況もあり、仕方ないことでもあります。
しかし、考えてみると、その人の人生はその人だけで単独であるのではなく、関係の中にあるのです。ある葬儀のあと、息子さんが「父は、家では何もしゃべらなかったので、子供から見た一面しか見えなかったけれど、葬儀の折に父の友人がいろいろと話してくれて、いろんなことを考え、いろいろな関係を生きていたんだと、あらためて父に出会えたような気がしました」と話してくれた方がいますが、このような話はよくお聞きいたします。
またある独り暮らしのご老人のことを、近所のスーパーのレジの人が、いつも気遣っていて「亡くなられたことを知っていたら、みんなで焼香ぐらいには行ったのに」と残念がっていたと聞いたこともありました。深い付き合いまではなくとも、お互い何らかの関係をもち、それらに支えられて生きているのです。そんなことを聞くと、現代の家族葬は、経済的な面も含め、仕方のない面もありますが、本当に亡き人をおくることになっているのかと考えさせられもします。
東日本大震災では、現実の場所としての「ふるさと」に戻れない方がまだまだたくさんいらっしゃいます。少しでも早くそれが取り戻せることを願うのですが、同時に、私がどういうこととして「ふるさと」を考え、またどんな世界、どんな関係を願って生きていこうとするのかが問われているように思うのです。
すべてのいのちそのものを支え、その関係が開かれていく、その世界を「浄土」と表現し、その世界を求めて歩めという声として、「真のよりどころ」ということがあるように思うのです。