知人に、両親とも日本人のアメリカ人がいます。分かりにくい話ですが、両親はアメリカに渡ったとき、もう日本には帰らないとアメリカに骨を埋める覚悟で仕事につかれ、アメリカに帰化した人で、子供であるその方は日本語を一切教えられずにきたというのです。血筋だけで言えば日本人です。しかし全く日本語は話せず、考え方は全くアメリカ人だと言っていました。同時にそれは今となっては少し残念だとも言っておられました。
その人の考え方が表現されるものの一つとして言葉があります。英語と日本語のことで言うと、たとえば日本では、豚と豚肉と同じように豚という言葉が入りますが、英語では豚はピッグ(pig)といい、豚肉はポーク(pork)と全く変えて使い分けられます。動物としての豚と食べ物としての豚肉を言い変えて使うのです。牛もカウ(cow)とビーフ(beef)に使い分けます。ポークやビーフは製品であり、そこに豚や牛のいのちを感じ、いのちをいただいているという感じはほとんどないと言っておられました。これがいいか悪いかは別にして、使っている言葉がその人間の考え方を造り上げていくというのです。単に表面的な言語の違いだけではなく、それが文化・考え方・生き方にまで影響していくというのです。
ですから人間は、どんな世界にいるのか、どんな言葉を聞いているのかで、その人の見る世界や、また生きる方向、眼が変わるのです。
以前、私どものお寺の、ある建物を建てていたときのことです。その頃お寺の改築や修理などを頼んでいた大工さんでしたが、棟梁にあたるお父さんは、もう大分お年になられ、もう来ることはできないとのことで、その息子さんが中心となって仕事をしていただきました。その息子さんである大工さんが、自分で造り上げ、ほとんど完成したと思われる床の間にあたる部分をしばらく見ていたあと、それを壊し始めました。こちらは、なぜ?と思ったのでしたが、「こんな仕事をしていたら、親父(おやじ)に何を言われるか分からない」と。もう現場にはきっと来られることもないだろうお父さんでしょうが、父親が見たら怒るに決まっているというのでした。父親である棟梁の仕事を永く見てきた自分がいて、そしてそれに教えられたものとしての自分がいて、そして今の目の前の自分の仕事がある。それを考えたとき、壊すしかないと思われたようです。本物を見て、本物に触れ続けると、偽物が分かる眼が開かれてくるのでしょう。お父さんの直接的なその場での言葉はないわけですが、その大工さんにとっては、いつも仕事場にその父親である棟梁の声が響き、その声を聞きながら歩んでおられるように感じました。
親鸞聖人は、法然上人に出遇われ、その教えとその教えに集う人々にふれて、そこに仏の教えの確かなるものを感じ取られたのでしょう。そして、その出遇いこそが親鸞聖人の生涯を貫くものとなっていったのです。それは「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」、「ただ念仏申すそのことで、阿弥陀の深い願いに目覚めて生きよ」という声となって、いつも親鸞聖人を呼びかえし、生涯を歩ませるものとなっていかれたのでした。
ここに真宗大谷派の東京教区から出された1枚のポスターがあります。
ひとり 旅に出る
安心できるのは 帰る家があるから
人生は 生涯をかけた ひとり旅
どこに向かい どこへ帰るのか
南無阿弥陀仏は わたしの帰る家からの よび声
誰もが代わってもらうことのできない人生を、ひとり歩まなければなりません。どこに向かったらいいのか迷うことの連続の日々です。
真のよりどころとは、いつも悩み迷う私のあり方を呼びかえす声を、聞き続けて歩めというその声そのものだと思うのです。