ラジオ放送「東本願寺の時間」

太田 浩史(富山県 大福寺)
第一回 土徳のこころ音声を聞く

 私は現在58歳で富山県の南砺市というところでお寺の住職をしております。この地域は昔から真宗王国といわれるほど浄土真宗の信仰が盛んで、念仏の中から人々の生活が立ち上がってきているような土地柄です。ですから生活文化や景観に独特の香りというか、力のようなものが宿っていて、それが子供たちを育て、旅人にも影響を与えていまして、私たちのところではそれを土の徳と書いて「土徳」と呼んでいます。この言葉はかつて民藝運動の創始者柳宗悦がこの土地に来て名づけたのだと父などから聞いています。でも現代の市場主義の中で次第にそれは受け継がれにくくなっており、自覚的に「土徳」を郷土のアイデンティティとして見直す運動を起す必要が出てきました。それも特定の宗教教団の事業としてではなく、自発的な市民運動でなければなりません。
 そこで私たちが考えたのはこの「土徳」を観光資源にすることでした。親鸞聖人の徳をしたう報恩講という行事に出す料理だとか、この土地の「土徳」に触れて開花した棟方志功の作品などを観光客に味わってもらい、真宗大谷派の城端別院・井波別院の大伽藍や、世界遺産にもなっている五箇山の合掌集落や平野部の散居村風景を「土徳」を感性の基軸に置いて観光してもらおうという試みです。でも「土徳」を売り物にする市民が内心「土徳」にそっぽを向いていたのではお話になりません。そこで全国の「土徳」のある地域と繋がることにより、お互いに自分たちの先祖から受け継いだものの尊さを再認識し、それを地域活性化の力にしていこうということで、ローカルサミットというイベントを企画しました。二宮尊徳の「土徳」のある小田原市や土地柄が似ている阿久根市、それに同じ県の射水市などの市長と市民を呼んで、とことん「土徳」について語り合おうというものでした。その時点では福島県の南相馬市を入れることはまったく考えていませんでした。
 もう三年以上過ぎてしまいましたが、忘れもしない2011年3月11日は東京から来た関係者を交え、ローカルサミット準備の初会合をやっていました。遅刻しそうになった私は二階の自室であわてふためいて書類などを用意していました。突然テレビと携帯電話がけたたましく緊急地震警報をつげ、間もなくゆったりとした揺れがやってきました。何か日本列島全体が一隻の船で、それが大波に流されているような感じでした。テレビは東北沖が震源であること、地震の規模が非常に大きいこと、大津波の襲来が予測されることなどを次々に報じ、一時間ほどそれに見入っていましたが、いつまでもそうしているわけにいかず二階に会議室がある井波のショッピングセンターに向かいました。すると一階の売場のテレビに人だかりができており、今まさに黒い津波が人家や田畑、そして逃げ惑う自動車を呑み込んで行く有様が映し出されていました。あとでそれは双葉町の光景だったことを知りました。
 二階の会議室に入るとみんなは呑気にローカルサミットの企画を話し合っていました。私は「今はそれどころじゃない」と告げ、パソコンで情報をとるように勧めました。画面には東京がパニックになっていることが映し出され、東京から来た関係者は携帯で連絡をとろうとしましたが繋がりません。ようやく事態を飲み込めた一同は絶句し、ただちにイベントを延期、町おこしの企画会議がそっくりそのまま支援会議に早変わりし、さっそく市と一体になって活動を開始しました。津波の第一波襲来から一時間後ですから、おそらく自治体と市民が一体になった支援組織の立ち上げとしては全国でも最も早い部類に入るはずです。そしてその組織はきわめて有効にはたらきました。
 ここに重要な発見がありました。自分たちの郷土のために何かしようという志をもった人たちは、他人の郷土のためにも何かできるということでした。それは自分の利害を超えて郷土を思いやることのできる人は、他人の郷土にも思いやりがもてるからです。「土徳」ということの本当の意味が見えた瞬間でした。

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