ラジオ放送「東本願寺の時間」

太田 浩史(富山県 大福寺)
第五回 何のために生まれてきたか音声を聞く

 2011年3月24日、凄まじいばかりの津波被害と目に見えない放射能の恐怖に打ちひしがれた南相馬市に入った私は、この土地はすでに見捨てられているのだと思わざるを得ませんでした。水や食料、医薬品等の命にかかわるものもふくめて、支援物資は全然届いていませんでした。それらを運んできたトラックは福島第一原発から30キロ以内への乗り入れを拒否し、鹿島区の青果市場に置き去りにして帰ってしまうというのです。中には遠く離れた郡山に運んでおいたから取りに来いという連絡が役場に入る始末です。私たち支援チームは鹿島区で物資の仕分けをし、南相馬に運ぶのを手伝いました。まるで原発から30キロの線をはさんで別の国のようです。しかも30キロの内側にいる私たちはすでにヒバクしたり汚染されていたりするような眼で見られているように感じました。やがて深刻になった風評被害がすでにはじまっていました。
 天災と人災に苦しめられた上に、日本社会からも不当な疎外を受けて30キロ圏内に残されている南相馬の人たちは、はたして自暴自棄に陥っていたのでしょうか。私は見てきました。実はその反対だったのです。みんな澄んだ目をして活き活きと働いていました。市民が一体となって、みんな自分以外の人に対して何かしようと懸命になっていました。そして何よりも天地を覆っている空気が放射能があっても明るく浄らかなのです。私たちがテントの中で発電機を動かしてテレビのスイッチを入れると、自分達がいるのと同じような被災地の光景が映し出されていました。でもその画像は殺風景で何か違います。どうやらこの浄らかな空気は、物質的なものではないのでカメラに写らない性質のものらしいのです。何か月か過ぎたあとですが、私は桜井勝延南相馬市長と対談する機会があって、その時思い切って「あの時の南相馬市民は、どうしてあんなに心を一つにできたのでしょう」と聞いてみました。
 すると市長の答えは、「たぶん、人は誰でもあのような極限状態になると、たった一つのことしか考えなくなるのじゃないでしょうか。『自分は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか』とね、私自身がそうでした。そしてみんなの顔を見ているとわかるんです。『ああ、この人たちも同じことを考えているんだな』と。するとあとは以心伝心なんです」というものでした。そして市長は次のように付け加えました。「私ね、あの忙しい時によく東京の霞が関に呼び出されたんです。どんな様子か報告しろというんですよ。でも東京にいる人に南相馬の実情は説明のしようがないんです。たった270キロしか離れていないのに、まるで別の星にきているみたいでした。でもね、私が上京するたびになぜか地下鉄が止まるんです。人身事故というやつです。私は不思議に思いました。南相馬の人たちは地獄のようなところでと懸命に生き延びようとしている。ところが天国のような東京では死のうとしている人がたくさんいる。それはたぶん、東京の人は考えていないんです、『何のために生まれてきたのか』ということを。すると不思議なことに、どっちが幸福なのかわからなくなったんです」。
 私はそれを聞いてあの明るく浄らかな空気の正体がわかったような気がしました。私たち現代人は何か困ることがあるとすぐに「WHAT」じゃなく「HOW TO」の答えをもとめてしまいます。でもそれでは解決になりません。むしろ「WHAT」の問題を突き詰めていくと「HOW TO」の問題は知らないうちに自ずから解決しているのです。真宗中興の祖蓮如上人は言われます。「南無と帰命する一念のところに発願廻向のこころあるべし」南無とは問いかけです。全身全霊で一つのことを問うたとき、すでに道は開かれているという意味です。「HOW TO」じゃなく「WHAT」の問いに立つ、つまり「自分はどうしたらいいか」ではなく「自分は何のために生まれてきたのか」という問いに立った時、すでに自分を越えた大きなものにささえられているのだと思います。するとあの空気は、阿弥陀仏の慈悲だったのだと思えてきました。

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