ラジオ放送「東本願寺の時間」

太田 浩史(富山県 大福寺)
第二回 土徳と民藝音声を聞く

 地域の自然と歴史風土が醸し出すはぐくみの力、特に真宗のさかんな地帯に見出される他力的な精神風土を、土の徳と書いて「土徳」といいます。私たちの富山県南砺市ではこの「土徳」を見直すことを地域活性化につなげるためのローカルサミット開催という取り組みをしていたことは前回お話しました。2011年3月11日、その企画委員会をただちに東日本大震災への支援会議に切り替え、市と市民グループが一丸となって、いち早く被災地へ物資を送りはじめました。ところが福島第一原発が爆発、事態がますます悪化して、福島県浜通りでは放射性降下物の下、人々が逃げ惑っているとの情報がもたらされました。
 原発から30キロ圏内にある双葉町・大熊町・浪江町・飯舘村・葛尾村・南相馬市および相馬市の一帯には昔相馬中村藩という藩があって、江戸時代後期から末期にかけて北陸などから多数の真宗門徒が移民し、今では全人口の三割に達するほどになっています。その大半の先祖が私たち南砺市のエリアから出ていたのです。いわば血と信仰を分け合った兄弟、とても見過ごせない問題です。私たちは各自治体の首長と連絡を試みました。ほとんどの町村は役場ごと避難中でまったく電話がつながりませんでした。何度か試みるうちやっと南相馬市の桜井勝延市長が電話に出られました。南砺市の田中幹夫市長が「私たちに何かできることはありませんか」と尋ねると、「あります、助けてください。手助けがほしいんです。市の職員は不眠不休でもう限界の状態です」との答えが返ってきました。そこで市の職員と民間の危険物取扱いの専門家を中心に8名の緊急支援隊が編成され、副隊長に私が任命されました。何しろ真宗門徒移民の歴史的な御縁で支援に行くのだから、坊さんが一人いないと困るというわけです。
 一行と様々な物資を載せた車両3台は、黒い煙を上げている福島原発三号機を気にしながら3月24日の早朝、市長や職員に見送られて南砺市を出発しました。隊員の中には二十代の青年もいました。よく志願してくれたものだと思います。「今福島に行くのは無謀だ」という意見がありました。でも行かずにはおれない自然な感情をチームはひとしく抱いていました。力んだヒロイズムや自己陶酔では決してなかったのです。
 なぜ郷土を思いやることができるか、自分を育んでくれた「土徳」に感謝の念が起きるからです。それは自他を対立させる狭い郷土愛ではなく、エネルギーの根源となったご恩に感謝する報謝の精神です。大きな恵みを受け取ったものは、自分の精一杯のものをその本源に返さなきゃならないと思う、人としての本能です。そこに立つときはじめて人は同じように感謝すべきものをもつ他人の立場にもなれるのではないでしょうか。よく他の国に対する攻撃的な言葉を愛国心の名で振りかざす人がいますが、それは感謝なき愛国心で、メッキをはがせば身勝手な自我愛にほかなりません。ほんとうに自分の地域の「土徳」に感謝する人に他の地域の「土徳」が共感できないはずはありません。
 私の近所に柳宗悦の民藝運動に心酔した高坂制立という住職がいて、世界中から集めた民藝の品々を寺じゅうに展示していました。そこには、宗教的・民族的、あるいは政治的に対立している国々のものがいっぱいありますが、何のハレーションもなく、平和そのものです。高坂住職が「民藝品は自己を主張しないから美しいのです。自己を主張しないものどうしが、どうやって喧嘩するんですか」と笑ったことを思い出します。それで高坂さんが亡くなったあと、私が郷土の民藝運動を引きつぐことになりました。民藝品が自己を主張しないなら、それを生み出した「土徳」もまた自己を主張しないに違いありません。しかも私たち南砺市の「土徳」は真宗の「土徳」なのです。

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