ラジオ放送「東本願寺の時間」

田村 晃徳(茨城県 專照寺)
第三回 姿勢音声を聞く

 みなさん、おはようございます。どのような日々を過ごしていらっしゃいますか。暑かったり、暑くなかったりの日々が続きます。でも昨日と同じ日はありません。新鮮な気持ちで1日が始まったらいいですよね。今、みなさんはどのような場所で放送を聞いていますか。お布団の中で、背中を丸めながらの人もいれば、きちんと正座をしている人もいるかもしれませんね。今回のお話は姿勢についてです。
 京都に長年住んでおりまして、地元である茨城に帰ってきたのが7年前です。それまでの間、自分なりにではあっても仏教の勉強は続けてきました。ただ、僧侶なら上手であってほしいということ、例えばお茶やお花に全く詳しくなかったのです。そこで書道を習うことにしました。何故書道なのかと言えば、もともと字を書くのが好きであり、美しい字に憧れていたことがあげられます。しかし、それと同時にお位牌などに字を書くときに、下手だったら恥ずかしいというのも大きな理由です。
 早速、先生を探しました。幸いにも、良い先生に出会うことが出来まして、数年経った今でも教えていただいています。色々なことを学びましたが、ある時次のようなことがありました。
私がいつもの通り書の練習をしていると、先生が言いました。「田村さん、背中が曲がっていますよ」と。そして続けて言ったのです。「姿勢が悪いと、字も悪くなる。姿勢を見ただけで、その人が上手いかどうか分かるのです」と。私がすぐに背中を伸ばし、姿勢を直した、そのことは言うまでもありません。ただ、何故か「姿勢」についての指摘が印象に残ったのです。
 先生が私に「姿勢を直しなさい」と言った意味は、当然「背中をまっすぐにしなさい」という、いわば姿形の問題でした。でも、私にはその意味を超えて「どのような姿勢で書道を学んでいるのですか」の意味に、つまりどのように書に向かい合っているのかという私自身の問題として聞こえてきたのです。そのように聞くのであれば、これは書道のみに該当するのではないことは明らかです。私は書道にどのように向かい合っているのか、私は僧侶というあり方にどのように向かい合っているのか、仏教の学びにどのように向かい合っているのか、そしてそもそも自分自身に向き合っているのかと。
 みなさんでも同様の問いは可能だと思います。仕事、家族、勉強、そして自分や人生にどのように向き合っているのでしょうか。どのような姿勢で、日々を過ごしているのでしょうか。どのように仏教に向かい合っているのでしょうか。「姿勢」とは、そのような普段考えることは少なくても、考えるべき問いを与えてくれる大切な一言なのです。
 親鸞さまの筆跡はどのようなものだったのでしょうか。親鸞さまには幸いに直筆がたくさん残されております。親鸞聖人の代表的な書物である『教行信証』を読むと、実に力強い書であり、文字通り肉筆と言うにふさわしい文字を見ることができます。さらに注目すべきは『教行信証』は何度も、何度も校正された跡を確認できることです。赤い字を入れたり、塗りつぶして字を訂正したり、繰り返し手を入れられたことが分かります。それは親鸞聖人の姿勢を、そう仏教に対して真向かいとなっている親鸞聖人の姿勢を何よりも教えてくれるのです。それは文字となって表れた、親鸞聖人の仏教に対する情熱であると言ってもいいのでしょう。
 同じ筆を使っても、書かれる文字は違います。それは学びも同様でしょう。その人の姿勢、学びに対する向かい方がその人に表れているのではないでしょうか。
 私が書を習うときに、姿勢を先ず大切にするようになったことは言うまでもありません。しかし、その後、私の上達の進度を見ると、姿勢を直すだけではダメなようです。何事も地道な努力は必要だという結論となりました。

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