ラジオ放送「東本願寺の時間」

田村 晃徳(茨城県 專照寺)
第四回 何を聞いてるの?音声を聞く

 みなさん、お早うございます。皆さんはご自分の性格をどのようにお考えでしょうか。しっかり者、うっかり者など色々あるでしょう。面白いのは、自分が見た自分と、実際に表れている自分にはギャップがあるということですね。私は自分のことをしっかりしている方だと思っていますが、周りの評価は違うようです。今回は「何を聞いてるの?」というお話です。
 私は保育園に関わっております。この春から園長という大役に就いているのですが、まだまだ実力は伴いません。しかし、何とか子どもたちと分かり合いたいと思い積極的に関わっているのです。ある日、保育園でクッキングの時間がありました。子どもたちが手作りでおやつなどを作り、食べることの喜びを知るという大切な時間です。その日はクッキーを作っていました。様子を見に行った私は教室で小麦粉を真剣にこねている子どもたちの姿を見ました。
 そしておやつの時間になりました。もちろん自分達で作ったクッキーを食べるわけです。みんな私の所によってきて「おいしかった」「クッキー作るのがんばったよ」と楽しそうに話してくれます。そのとき5歳の女の子が「クッキング40回やった」と言いました。周りが騒がしく、よく聞こえなかったせいもあり、意味が分からなかったので私は「クッキング40回やったの」と意味不明な言葉を繰り返しました。すると女の子は当然ながら「違う」という表情を見せて何か言いました。今度は「クッキー40回やった」と聞こえました。何となく分かってきたので、女の子の発言を自分の中で再構成して「クッキーを40回こねたんだね」と言いました。すると女の子は再び「違う」という表情をするのです。そして床に座り足を伸ばしました。何をするのかと見ていたら、続いて両手を頭の後ろに組み、寝転んで起き上がったのです。私はその時やっと承知しました。「あぁ、腹筋を40回やったのね!」と。女の子はやっと「そう」と言って笑ってくれました。
 クッキー、クッキング、腹筋。確かに似ています。でも違う言葉です。周りが騒々しいとはいえ、私は何故間違えたのでしょうか。それには色々な理由があると思いますが、一つはその日の流れ、つまり子どもたちがクッキーを作っている様子などが頭にあったからでしょう。しかし、更に大きい理由は5歳の女の子が腹筋を40回もやるはずがない、という思い込みがあったからでしょう。だからこそ、彼女は「腹筋を40回やった」と言っているのに私は「クッキー」に聞こえた、いや勝手に聞いていたのです。逆に筋骨隆々の方が現れて「クッキー40回焼いた」と言ったら、私は「腹筋40回やったんですね。思ったより少ないですね」と聞いていたかもしれません。このように私達はきちんと聞いているのではなく、自分の都合のいいように聞いていることがあるのです。「何が」言われているのかではなく、「誰が」言っているのかに注目する癖があるとも言えるでしょうか。
 仏教ではそのような聞き方に警鐘を鳴らします。「今日より法に依りて人に依らざるべし」という言葉があります(『真宗聖典』357頁)。「その人の説く、教えの内容を信じるのであり、その人の人格を信じるのではない」という意味です。私達はその方の説かれている事が真実かどうかを聞くのではなく、「その方が語っているから真実だ」という本末転倒の聞き方をすることが常なのではないでしょうか。専門家依存の風潮はそこに由来しているのでしょう。しかし、相手が何に根拠を置いて語っているのか、そしてそれは真実かどうかを考えることが話を聞くということなのだと思います。仏教もそうです。教えを聞いて終わりにするのではなく、聞いてよく考えること、つまり思うことが仏教の学びなのです。教えを聞くことを「法を聞く」と書いて「聞法」と言います。そして教えを考えることを「聞いて思う」と書いて「聞思」と呼びます。これらの言葉が私達の聞き方の問題点と同時に、聞くべき方向性を教えてくれていると思うのですがみなさんは、どう思われますか?

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