ラジオ放送「東本願寺の時間」

乾 文雄/滋賀県 正念寺
第一回 宗教との個人的な出会い音声を聞く

 私は50年前に、滋賀県にある小さなお寺に生まれました。しかし、そのことを全く喜べずに青春時代を過ごしました。今思えば、本当にもったいないことで、また、失礼な話ですが、寺に生まれたということは、物心ついてからの私にとって、受け入れがたい現実でしかありませんでした。
高校を卒業するまで、私のテーマは、如何にこの環境から逃れるかということの1点でした。ただただこの不自由極まりない敷かれたレールから、どうしたら抜け出せるか。そのことばかりを考えていました。(時間を見て削除)
高校を卒業した私は予定通り寺から逃げ出しました。といっても、情けないことに、大阪にある大学で親から仕送りを受けながら下宿生活をしていただけです。
しかし、あきらめの悪い私は、このまま日本にいては逃げきれないと思い、二十歳の時、大学を休学してヨーロッパまで逃げる計画を立てました。日本では出会えない、私がこの陰鬱な日常から抜け出して、もっともっと活き活きとできる何かがあるはずだという思いをもって。しかしながら、そこで、考えてもいなかったことに出会います。逃げ切ったはずのもの、「宗教」に出会ってしまうのです。
ヨーロッパ初日、フランスの空港から地下鉄を乗り継いで、どうにか、目的地であるスペインに向かう列車の出る駅にたどり着きました。切符を買い、駅前の公園で、出発までどうやって時間を過ごそうかとベンチに座っていた時のことです。大きな旅行カバンを横に置いて「せっかくパリに来たのだから」などとガイドブックを見ていた私は、突然10人ほどの男性に囲まれました。
強盗でした。何やら乱暴に話しかける者、その横で周りを警戒する者、後ろからカバンに手を伸ばす者、私の体を抑え込もうとする者。できる限りの抵抗をしましたが、もう駄目だと思ったその時に、後ろの方から声がして、全身黒ずくめの男性が割って入ってきました。彼は強盗たちの動きを手で制しながら、彼らに向けて、実に穏やかに話しかけていました。彼らの手が、私とカバンから離れていきました。
しばらくすると信じられないことに、強盗たちは私にうすら笑いと捨て台詞のようなものを残しては、一人、また一人と去って行きました。残されたのは、自分の荷物を必死で抱え込むようにして座る私と、その前に立つ、上から下まで真っ黒の衣装に身を包んだ男性。訳も分からず、彼を見上げていました。
彼は私にはフランス語が通じないということがわかっていたようで、しばらくの間、「さてどうしたものか」という顔をしていましたが、おびえる私に、びっくりするほど素敵な笑顔で、たった一言、“Bon voyage!”という言葉を残して、その場を去っていきました。フランス語で「いい旅を」とだけ言って、何事もなかったように離れて行ったのです。
興奮と緊張と意味不明の展開に、私はしばらくベンチから立ち上がることができませんでした。やがて「とにかくここにいては危ない」と思い、駅に入り、売店でコーヒーを買いました。お金を出す手がまだ震えていたのを覚えています。椅子に座り、コーヒーを一口飲んだら、今度は全身が震え始め、ついには泣いてしまいました。
その日は夜行列車に乗ってスペインに向かいましたが、眠れぬまま朝を迎えました。ゆっくりと頭の中で、その日にあった出来事のおさらいをしていました。翌朝、バルセロナという駅のホームに降り立った時、あまりにも非現実的な一日と、それでもまだ生きているという事実に、力なく笑っていました。体はほとほと疲れていましたが、不思議と心は元気でした。
全身黒ずくめの彼はカトリックの神父さんでした。彼の笑顔を思い出すたびに、私も笑顔になりました。
この経験を通して、「宗教に生きるということであの笑顔が得られるのなら、自分の人生にひがみ続けているこの私は、いったい何から逃げようとしているのか」という問いに出会いました。宗教から逃げたはずのヨーロッパで、この問いからは逃げられずに1年を過ごしました。仏教とかキリスト教とかいう違いを超えて、本当に宗教に出会い、宗教を拠り所として生きる人に出会ったのです。
その人は、理屈抜きの本当に素敵な笑顔を持っていました。自由がないとか言っては、かといって何の努力もせず、卑屈さと自己憐憫と無力感でいっぱいの私が求めていたものがそこにあったということにやっと気づきました。
あれから30年が経ちます。今でも彼の笑顔ははっきりと覚えています。宗教から逃げまくった果てに、宗教に生きる人に出会いました。そして今、京都にある大谷という学校で、その宗教の授業を受け持ち、12歳から18歳の青春を過ごす生徒たちと共に学んでいます。
私たちの学校、大谷の初代校長、清澤満之先生の言葉に「道は近きにあり。迷える人はそれを遠きに求める」というものがあります。なんとも言い当てられているようでお恥ずかしいかぎりです。

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