ラジオ放送「東本願寺の時間」

乾 文雄/滋賀県 正念寺
第六回 師は、弟子にその準備が整った時に現れる音声を聞く

 今日はチベットに古くから伝わる格言「師は、弟子にその準備が整った時に現れる」という言葉について、お話をさせていただきます。
チベットは中国の西南に位置する自治区です。南にそびえるヒマラヤ山脈を始め、高大な山々に囲まれた山脈地帯です。
チベット仏教がその地に生きる人々の心を支えていますが、その教えに基づく格言の多くが日本でも広く知られ、その一つが今週の言葉です。
ここでいう「師」というのは、「私の大事な先生」と考えればいいと思います。職業としての教師とか、立場として先生と呼ばれる人たちとかではなく、「今の私があるのはこの人と出会えたからだ」とか、「この人に出会えたことで私の生きる方向が定まった」とかいう、そういう人のことです。その人との出会いは、私にその準備が整った時に現われるというのです。
準備が整うというのは、どういうことかというと、「今の私の課題・解決したい問題や置かれている状況がはっきりした」ということではないかと思うのです。
私たちはよく悩みます。悩むという事には、相応のエネルギーが必要です。だから、深く悩んでいるときは、辛く苦しい時間が過ぎていきます。悩む人の頭の中は「どうすればいいのか」という解決策を求め、「早く楽になりたい」という思いでいっぱいになります。
しかし、「どうすればいいのか」という問いの前に、実はもっと大切なことをはっきりさせなければ心の闇は解消しません。
今から100年ほど前にイギリスで活躍された作家に、チェスタトンという方がいます。その人の言葉に、「解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ」というものがあります。
私たちは壁にぶつかると、どうやってその壁を乗り越えるかということに思いが行くのですが、その前に、今悩んでいる問題がいったい何なのかをはっきりさせなさいというのです。英語でいう”how”の前に”what”を明らかにしなさいというのでしょう。
解決策ばかりに目を向けるとどうなるのか。身近な例として、提出日に課題を忘れた生徒の言い訳があります。
「やばい、宿題を忘れた。先生に怒られる。仕方がない。本当はしていないけど、こう言おう。『昨日やったんですけど、家に忘れてきました』」。そして、「じゃ明日は忘れないでね」と言われて「ふ~、ピンチを乗り越えた!」となります。大人でもよくありますよね。でも、問題の本質は何ら解決されていません。大事な仕事や約束を忘れてしまう「私」は、そのままです。それは骨折しているのに湿布を張っているだけの状態です。根本治療とは言えないその場しのぎの解決策でしかありません。でもやってしまいます。
私の抱える問題がはっきりすると、その答えやアドバイスや将来に関わる大事なヒントを与えてくれる人は、すでに私の周りにはいっぱいいるのかもしれません。でも、悩みの根っこにあるものがはっきりしていないから、そのアドバイスとか教えというものが響いてこないのです。
だから、ひょっとしたらもうすでに「師」は私の目の前にいて、その人とはしょっちゅう言葉を交わしているのかもしれないのですが、その人が「私の師」であるとは気付いていない、またはそうは思えない私がいるだけなのかもしれないのです。
そう考えると、「師」つまり「私の大事な人」に会えるかどうかは、縁によるところが大きいのですが、私にもかかっているのです。このチベットの言葉は、私が、今の私にとって何が必要か、何を求めているのか、それがはっきりしたとき、きっと「あ~この人を求めていたんだ」という出会いが成り立つのだと言っているのでしょう。
親鸞聖人の「師」は法然上人です。決定的な出会いは親鸞さんが29歳の時だと伝えられます。しかし、親鸞さんは、もっと以前から法然さんのことを知っておられましたし、直接話したこともあったのではないかと言われています。
親鸞さんは比叡山で修行を始めて20年が過ぎた時、深く悩まれました。京都にある六角堂に100日間籠り、ひたすら悩まれます。95日目、その悩みの種を夢の中ではっきりと確認されます。問題がはっきりとなったのです。すると向かうべき道、出会うべき人が明らかになったのです。夢の告げと書いて「夢告」と伝えられる出来事です。
ある大切な先生に教えられたことですが、「漢字の解釈としてはおかしいのかもしれませんが、正しいという字は、上に一を書いて下に止まると書くのです。だから、自分を正すという時に私たちができるのは、いったんその場に立ち止まるという事なのでしょう」。
悩まれた親鸞さんが、六角堂で立ち止まられたということを、大事な教えとしていただきたいと思うのです。
「この人に会えてよかった」と心から言える人生を歩みたいものです。そして、その出会いにむけて準備を整えていたいと思うのです。この言葉はそう教えてくれています。

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