ラジオ放送「東本願寺の時間」

仲谷 俊昭/岐阜県 往明寺
第一回 情報の時代音声を聞く

 今日から6回にわたってお付き合いをしていただくことになりました。充分な話はできませんが、どうか、最後までよろしくお願いいたします。
 さて、昨年12月に行われた衆議院議員選挙では、本格的にインターネットを利用した選挙運動が行われ、従来の新聞・ラジオやテレビとあいまって、様々な選挙関連情報が私たちのもとに届けられました。そして、その中には選挙が実施される前から、今回の選挙の投票率や選挙結果が予測され、その結果を踏まえて、今後の政治状況や経済状況にまで言及されたものも少なくありませんでした。いわゆる選挙結果予想というものです。膨大な事前情報を高度な情報処理技術によって分析することでかなり正確な予想が可能になったということのようです。しかし、その「かなり正確な選挙予想情報」のために、投票する前から選挙結果が見えてしまい、「私一人が投票してもしなくても大勢には影響はない」と投票に行かなかった人も少なからずあったようです。
 今、私たちの生活は多様な情報であふれています。社会的に大量の情報が生み出され、その情報が加工・処理・操作され、私たちの意思決定や行動に大きな影響を与えるようになっているといえます。つまり、どのような情報に出合うかによって、私の意思決定や行動が決まっていくということになりますから、情報を見分ける眼を磨かねばならないということになりますね。近年は、新聞・ラジオやテレビといったものだけでなく、パソコン・携帯・スマートフォンといった情報機器を小学生から使い始め、片時も離さず、寝るときまで持ち続けているという状態も珍しくはないようです。電車やバスに乗っていても、携帯電話やスマートフォンを使っている人か目を閉じて寝ている人かそのどちらかしか見かけなくなりました。こういった状況からは、もはや、情報を使いこなさなければ自分の思いにかなった快適な生活は手に入らないかのように感じられます。外での仕事をするなら天気予報を。どこかに出かけるなら交通情報を。買い物をするなら安売り情報を。投資をするなら経済情報を。それほどに情報に慣れ親しんでいる現代の私たちは、また、日々変化する情報にもついて行かねばなりません。テレビや新聞には、毎日のように新しい言葉が登場します。誰もが知っていて当たり前かのようにカタカナ言葉が躍っています。でも、誰もその言葉の意味を教えてはくれません。知りたければ、自分で調べなさいと言わんばかりに。そうなのです。情報は流れてくるばかりでなく、ほしい情報は自分から取りに行かねばならないのです。情報化社会にあっては、情報を自在に使いこなせる者こそが、その恩恵に与かれるのでしょう。
 しかし、情報に疎い者は、結局のところ情報を持っているものに随っていくしかなく、その結果、気づいてみたら、世の中はこんなに変わったのかと驚くことになるのでしょう。私の人生であり、私の生きている社会であるはずなのに、そこに生きている実感がともなわない。毎日毎日、それなりに一生懸命頑張っているのに、人生というものに手ごたえが感じられない。ひいては、ここまで生きてきた私そのものの確かさや、この先を生きて行く私の未来まで揺らいでくるような、言いようのない不安や虚無感を抱く。でも、この私を、この場所で、これまでのように、この先も生きて行くしかないのだ。考えてみても仕方ない。世の中とはそういうものだ。人生とはそういうものだ。そう自分に納得させていくしかないのでしょうか。これから、このラジオをお聞きくださる皆さんと御一緒に尋ねて行きたいと思います。

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