ラジオ放送「東本願寺の時間」

仲谷 俊昭/岐阜県 往明寺
第五回 世俗にはたらく仏道音声を聞く

 私が住んでおりますところは、村の中にスキー場が6つもある積雪地帯です。昨年末からの大寒波で、例年の倍ほどの積雪となり、休みの度に屋根の雪降しをしなければなりませんでした。毎日、玄関先から通りまで雪を開けて、それから仕事に出かけ、仕事から戻ると、通りから玄関先まで雪を開けてから家の中に入る。もう誰も、これ以上雪が降ることを望んでいるはずもないのでしょうが、道行く人との挨拶では「もう雪はこれ以上いらんけど、まったく降らんではスキー場が困るでなぁ」となります。かつて、冬になると深い雪に閉ざされる山間のこの村では、仕事らしい仕事もなく、冬場は出稼ぎに行くしかなかったのだそうです。それが50年ほど前、スキー場が出来たことで、スキー場やスキー客に関わる仕事やそのための除雪の仕事が生まれ、出稼ぎをしなくていい暮らしが手に入ったのだそうです。月日は流れ、今では環境も変わり、スキー場にはかつての賑わいはありませんし、その恩恵を受ける人はもう多くはありません。それでも、これまでこの村がスキー場から受けた恩義を、今も忘れず受け継いでいるかのようです。
 苦しみや悲しみに出合うと、つい感情がむき出しになったり愚痴が出たりしてしまうものです。
そこには、自分の経験や考えでは容易に超えられそうもない壁が立ちはだかっていると感じ、自らの力不足を嘆き、どうにもならない苛立ちの心で一杯になっているのでしょう。しかし、日常における何気ない路上での挨拶一つでも、教えられてみれば、この私の思いが及ばぬところで、私を護り育ててくれた、この世界の姿が現れ出てくるのです。良し悪しや好き嫌いなどすべて飲み込んで、それこそ互いの命を重ね合わせるように一つにしてここまで生きてきた、人の世の深さに触れる瞬間になり得るのです。
 二千数百年前、インドの北東部尼蓮禅河のほとりで、かつて何人も至ることのできなかった悟りの境地に到達され、仏陀としてのお釈迦様が誕生されました。やがて、その悟り難き法を伝えるべく人々の元へ歩んで行かれたことでしょう。そして、そこで出会われたのは、まさに、良し悪しや好き嫌いなどすべて飲み込んで、それこそ互いの命を重ね合わせるように一つにして、苦悩深き人の世を命尽きるまで生きねばならない人々の姿であったことでしょう。
 今日、多くの人には、仏教が、迷い多き世間を離れて出家の身となり、一人自身の内面を凝視し、かつて釈迦仏の修めた難行苦行を重ねて到達できる悟りの世界に至り、我が身に起こる苦悩を解決し、思い煩うことのない一生を手に入れる事かのように受け止められていることもあるようです。
 およそ八百年前の中世鎌倉の時代に、家族と共に、越後・関東の田舎に生きる人々の中を生きられた親鸞聖人の言葉に教えられるならば、悟りを開かれた釈迦仏のなさったことは、人々のもとを訪ね歩いて、決して自分一人だけが救われることの許されない「濁世を群生として生きる」、それは、濁世に生まれ、濁世を生きて、その濁世で一生を終えねばならない、濁世を一歩たりとも離れる事の許されない、そういう人々の心に、それでも、そこを生き抜いていくことの出来るものを見出させようと関わり語り続けられた阿弥陀如来のはたらきをなさったのではないかと思われてなりません。
 仏教には、求める者が世俗を離れ出家して始まっていく仏道、すなわち、悟りを開かれた釈迦仏を理想として、一歩でも近づこうとする聖の仏道と、決して世俗を離れることの出来ない、苦悩を抱えた人間世界の、その一部と化していかねばならない者に働き続ける阿弥陀如来の仏道があるのではないでしょうか。親鸞聖人の言葉から、そのように感じ取れるのです。

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