ラジオ放送「東本願寺の時間」

佐野 明弘/石川県 光闡坊
第二回 現代と親鸞―歴史的開け―音声を聞く

 現代と親鸞というテーマでお話しております。前回人間を歴史的開けの中に目覚ましめ受け止めるのが浄土真宗であるとお話ししました。歴史的開けと申しましたが、それは過去の出来事から今に連なる知識的な歴史把握ではなく、返って今のところに開かれてくる歴史です。出遇った出来事の深さとして今において開く歴史があるということです。それを歴史的開けと申します。これは目覚めや気付きといった智慧に属する出来事です。親鸞聖人はお釈迦様そしてインド、中国、日本の浄土の高僧七人を讃えて正信偈という詩をお作りになっています。それは親鸞聖人が決定的なことに出遇われたそのところから開けてきた歴史であります。親鸞聖人は九歳から二九歳まで比叡山で修行をなされました。お正信偈に出てくるお釈迦様やインド中国日本の高僧方の教えも徹底的に学ばれました。しかし、知識としては了解できても、そのことで自らが開かれません。仏門に入りながらもその学びが自らの道にならず、仏道が仏道になっていかない。そのことに非常な苦しみをされたのです。二十九歳にしてついにお釈迦様の教えも三国の七高僧の教えもそのすべてを捨てて、山を下りてしまわれたのです。この時、聖人にあったのはたすけてくださいという一言ではなかったでしょうか。この言葉はどうにもならなくなった人間の最後の言葉でありますが、どの人の中にもある人間の根底を貫いている言葉でもあります。親鸞聖人は救世観音の祀られている六角堂に籠りつづけ祈りを捧げられます。九十五日も経った夜明け前に夢のお告げがありました。救世観音のお告げによって、親鸞聖人は法然上人の教えをどうしてももう一度聞かねばならないお気持ちになり、世の明けるのを待ちかねて吉水の法然上人のもとへと走りました。法然上人の教えを聞き続ける中に、迷いの者、罪深き者をそのままに念仏申さしめて救わんという阿弥陀仏の本願こそこの私の為であったと本願念仏が聖人の肺腑を貫いたのです。そして、そこから、お釈迦様、七人の高僧に出遇い直されることとなったのです。それまで単に知識としてあったお釈迦様も七人の高僧もみな、この世の人々に念仏の教えを伝えるために、本願念仏から生まれ、本願念仏を証しし、本願念仏に帰られた方だと仰いでいただかれることとなったのです。また、その教えはどこまでも深く聞いていかねばならない深さ広さをもっていただかれたのです。未来としても歴史が開かれたわけです。こういった歴史的開けということが、決定的な出来事なのです。身近なことで例えますと、バッハという作曲家が今から約三百年ほど前にドイツに生まれ、多くの優れた作品を残しました。彼は音楽の父と讃えられ、その作品は現代でもなお多くの音楽家によって演奏され、多くの人々に愛されています。遠くヨーロッパの、しかも千七百年代に生きた人の音楽を2015年を生きる日本の私たちが聞いています。個人的な趣味できいているようですが、それは、様々な時代地域を経て、伝わってきました。バッハの音楽に感動した人が演奏しそれを聴いた人々の感動がずっとつながって、戦争の時や飢饉の時、様々な困難の時を経て、伝わってきて今ここでまた、聞かれているのです。そこに届いているものは、個人を超えて伝わってきた響きであります。バッハが曲を生み出しますが、そのバッハを生み出したのは音楽そのものです。音楽に感動しない者が音楽家になろうとはしません。音楽からバッハが生まれ、生まれたバッハが音楽を証しし、その音楽に感動した人々が生まれ、音楽を証ししてきたのです。現代の演奏家にとっても、バッハの音楽は演奏しきれぬ未来としてあると言われます。このような響きの歴史の中に自らが見出されることが大きな出来事なのです。親鸞聖人は本願念仏から生まれ、本願念仏を証ししてきた念仏の響きの中に自らを見い出しておられるのです。こういった歴史的開けの中に呼び覚まされる、それが人間にとって決定的な出来事であります。

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