現代と親鸞というテーマでお話しさせていただいております。以前、朝のお参りをしている時、このおつとめがずっと長い間数えきれないほどの人々によって、読まれてきたことに思いが至りました。少なくとも本願寺8代蓮如上人が祖師親鸞聖人がつくられた正信偈という詩を木版におこし、真宗門徒のおつとめとして行われるようになってから500年以上、その間ずっと口にされてきました。お勤めは人間の煩悩で好きになるようなものではありません。大切な人に先立たれ深い悲しみに覆われている時、お寺さんに一緒におつとめをしましょうと本を渡されておつとめをするようになった方が圧倒的に多いのです。ですからお勤めのお言葉はただ伝わってきたのではなく悲しみの上に伝わってきたのです。そうすると、私たちが読んでいるようですが、となえられている正信偈の一文字一文字の方が逆に悲しみを抱えてお勤めをする多くの人びとを見てきたのだと思い至りました。
ある時、近所の方が亡くなられたのでお参りに来てほしいと電話がありました。はじめて伺うお宅でした。中に入っていくと、遺体の傍に壮年のご夫婦と小学生の女の子が座っていました。遺体はとても小さく、お顔を見せていただくと、若い大人の女性でした。お聞きすると、その女性は壮年のご夫婦の子供で小学生の母、シングルマザーでその子を育てていたそうです。夜、内通夜になり、おつとめの本を皆に配って一緒にお勤めをしましょうと声をかけました。ついて読まれる声があまり聞こえません。どうやらお勤めには慣れておられない様子でした。翌日、お通夜に参りましてまたご一緒にとおつとめを始めたのですが、驚いたことに小学生の女の子がしっかり声を出しておつとめについてきます。お参りが終わると、祖母にあたるご夫人が、「この子はお勤めの本をめくってお正信偈を繰り返し繰り返し声にだして夜通し読んでいたのです」と、涙ながらに教えてくださいました。それをお聞きし何か胸が熱くなるのを覚えました。一人きりの母を亡くしたこの少女にとって、そうせざるを得ないものがあったのでしょう。その少女が夜通し読み続けたところにあったもの、それは言葉の持つ響きではないでしょうか。ずっと数えきれない人びとが悲しみの中で読みつづけてきた響きがそこにはあって、その響きを少女も感じておられたと思うのです。その響きは悲しむものを包んで受け止めてきた大いなる響きであります。その響きの中で少女はお母さんお母さんとずっと読み続けたのでしょう。読まれている言葉がかえって少女を受け止めていたのではないでしょうか。そこに一人一人の個別的な悲しみを貫いて受け止めていく世界。個人的悲しみを超えて個人を包む、如来の大いなる悲しみ、大悲の響きがあるのです。悲しみは喜びで押さえられるものではなく、かえって本当に悲しみを知った心に出遇って初めて受け止められていきます。すべてのものの悲しみを知っている、それが如来であります。
作家の石牟礼道子さんに教えていただいたことですが、水俣では悶え加勢という言葉があるそうです。村のある家で悲しい出来事があると、村人が何とか力になれないかと家に行く。しかし、かける言葉がない。悲しみを知っているが故に、むしろかける言葉がなく、戸口の所を行ったり来たりする。どうしていいかわからず悶えるわけです。結局何もできずに終わってしまうのですが、2~3年してその家のかたが、あの時は悶え加勢をしていただいて大変心強かったと言われるそうです。悲しみはその場しのぎの上手い言葉ではなく、悲しみを知った心に出遇ってはじめて受け止められていくものなのでしょう。
念仏は大悲の響きであり、それが人間を深い歴史的開けの中に目覚ましめ受け止めるのであります。開けとはまた、深い響きなのであります。