ラジオ放送「東本願寺の時間」

宮森 忠利/石川県 小松大谷高等学校
第二回 教えられ、育てられ―親鸞聖人のお膝もとで学ぶ―音声を聞く

 私は石川県にある小松大谷高校で「宗教」という授業を受け持ち、生徒と共に「生きること」を学んでいます。
 小松大谷高校では、1年生の10月に京都の東本願寺で一晩泊まりの研修を行なっています。研修に行く前は、多くの生徒が、「意味があるんだろうか」「早く終わればいいな」と思っています。でも、東本願寺に着いて、大きなお堂の中に坐ると、なにか気持ちがひきしまるのを感じるのです。今のお堂が建ってからでも120年、全国から数知れない方々がそこに座り、親鸞聖人の教えに耳を傾けてきた場所の空気にふれるからだと思うのです。
 親鸞聖人のお膝もとで、生きることを見つめ直してほしいと、二人の講師の先生の話を聞かせていただきます。ここ十数年は、障害のある方と共に生きておられる福井達雨(ふくいたつう)先生、そして親鸞聖人の教えを分かり易く話してくださる?雲幸雄(すぐもゆきお)先生です。
 お話を聞いて、一人の生徒は、「テレビもラジオもないこのお寺で二日間過ごすことにより、この情報化社会で見失いそうになる本当に大切な何かを感じることができました」と、学んだことを記しています。その生徒は、「派手な格好をしたい」「いろんな場所に行って遊んでみたい」と思っていました。でも、参加している部活動を続けるにはそれは許されず、「何で私だけ」と不満を持ち続けていました。ふと、福井先生の話された「目に見えるものより、目に見えないものを大切に」という言葉が響いてきたのです。それは先生のお母さんが亡くなられ時、遺していかれた言葉でした。
 生徒は夜寝る時、今日聞いた話を思い出していると、「私にとって本当に大切なものは何だろうか。」という問いが生まれてきたのです。その問いは、私たちを生かしている深いいのちからの問いかけだと言ってもいいでしょう。そして、「大切なのは外見でもなく、自分のしたいことばかりをすることでもない。中身のつまった学校生活を一日一日過ごすことだ」と応えることができたのです。(小松大谷高校宗教科文集『預流』第25集 平成20年発行による)自分に与えられた命を本当に生きようという尊い願いに目覚めたのです。その生徒は部活動をやり遂げ、爽やかな笑顔で卒業していきました。
 また、ある生徒は、?雲先生の手を焼かせた生徒が、自分の子を産んだ時話した言葉に心を打たれました。「私の母も私を産んだ時、こんな気持ちになったのかな。母が来たら『産んでくれてありがとう』と言うわ」という言葉です。
 その時、生徒には母の顔が浮かんできました。「いつも家で反抗ばかり、文句しか言っていない自分。」「私の母も私を産んだ時、こんなふうに思ったのだろうか。私も自分が結婚し、子供ができた時、こんなことを思うのだろうか。」「どのお母さんもみな、自然に『生まれてきてくれてありがとう』、そんな気持ちになるのだ」とわかったのです。
 「学校なんてだるい。もっと違う自分に変わりたい」と思っていたその生徒は、初めて母の愛情に包まれ、願われて生まれてきたことに気付きました。だからこそ、「生まれてきて意味のない命なんてない。」「生きていることに感謝し、母が産んでくれたこの体と心を大切に生きていきたい。」と述べています。(小松大谷高校宗教科文集『預流』第30集 平成25年発行による)どんな人も、深い愛情にふれた時、自分を大切に歩んでいこうという深い心が生まれてくるのです。
 研修では、日頃の生活で見えなかった自分の根っこに光があたり、自分を大切に歩んでいこうという心が生まれてきます。また、そのような学びができる学校に入れてよかった、と述べる生徒もおります。

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