私は石川県にある小松大谷高校で「宗教」という授業を受け持っています。「宗教」の授業は生徒と共に「生きること」を学び、生きることを見つめ直す時間です。今日は中村久子さんという方から学んだことを話したいと思います。
中村さんは1897年、岐阜県の高山市に生まれました。3才の時に病気で両手・両足の肘と膝から先を失いました。なんとか生きていかなければならないと、18才から見世物小屋で裁縫や口で文字を記すなどの芸を見せながら歩んでいかれます。そこにさらに様々な不幸なできごとが襲ってきます。父は幼い頃に亡くなっていましたが、さらに、母の死、夫の死、再婚した方も二人の子どもをのこして亡くなってしまいます。
不幸に押し潰されそうになっている時、中村さんは雑誌に紹介されている一人の人に出会ったのです。自分と同じように病気で寝たきりの人、でも、そこに載っているその顔が「光り輝いている」のです。
座古愛子(ざこあいこ)というキリスト教徒の方でした。どうしても会いたいと訪ねていきます。中村さんの書かれた本(『こころの手足』中村久子著 春秋社 昭和46年発行)には、「横になっているお顔は神々(こうごう)しい観音様(かんのんさま)のようにあたたかい。あの神々しいお顔は、いったいどうされたことだろう。どこから何を得られたのだろう。」「初めて心の目が覚めました。それ以来、親を恨み、世を呪うことはやめました。」
と記されています。中村さんは、人はこんなふうに生きられるのかと驚き、人には深い心の世界がある、と目覚められたのです。
中村さんは後に、親鸞聖人の教えを学び、親しく「親鸞さん」と呼んでおられたそうです。「悩みを、苦しみを、悲しみを通して、お念仏させて、喜びに、感謝に変えさせていただく。」(同上)それが先生方から教わった「真実の教え」だと述べています。
私は高山のお寺で中村さんが遺された数々の品を見せていただきました。自分で縫った着物、大きく墨で記された文字。その中でも一番心に残ったのは、小さな手帳でした。中村さんが教えを聞いて学んだことが、小さい文字でぎっしりと記されていたのです。きっと口にくわえたペンで記されたのでしょう。それを見た時、この方の教えを学ぼうとする心の並々ならぬものを感じました。
生徒と共に中村さんの姿に学んで、一人の生徒は「人間の生きていく世界は、苦しみと欲ばかりの世界で、欲しいものがあればすぐに手を出し、苦しいことから逃げるのに必死で、それが当たり前のことだ。」と思っていた。でも、中村さんや座古さんに出会い、「苦しみと向き合っている人もこの世の中にはいるのだと気付き、その時、心の中に光があふれてくるのを感じた。今までの自分が恥かしくてならない。」と、記しました。中村さん、座古さんの姿に本当のものを感じ、自分の生きる姿を照らされたのです。そして、「苦しみに向かって進んでいける心を持った時、初めて本当の人になれる」と、「本当の人」なっていきたいという意欲が生まれてきたことを述べています。(小松大谷高校宗教科文集「預流」27集 平成22年発行による)
また、ある生徒は、「人間は手足があっても人生に満足していない。中村さんは両手両足がなくても自分の命に満足している。『中村さんは私たちにとって人生のお手本だ』」(小松大谷高校宗教科文集『預流』第28集 平成23年発行)と記しています。
中村さんは随分以前の方かもしれません。特別の境遇を生きた人のようにも見えます。でも、その生きた姿は、私たちにとって一人の「人生のお手本」ではないでしょうか。