ラジオ放送「東本願寺の時間」

宮森 忠利/石川県 小松大谷高等学校
第五回 教えられ、育てられ―恩師との出会い―音声を聞く

 人は言葉との出会い、人との出会いによって、本当のものに目覚めていくことができます。今日は私自身の出会いについて話させていただきたいと思います。
 私の人生の最初の記憶は、祖母から歌を歌ってもらっていることなのです。その歌は
 「うれしい うれしい わたしらは いつも おじひにつつまれて めぐみのなかに そだちます」
 「とうさん かあさん みほとけさまは よいおかた わたしを いちばん かわいいと ねているときも まもられる」
 というものです。
 この歌は十四才で亡くなった私の伯母が保育園で習ってきたのを祖母も好きになり、私に毎晩歌ってくれたのです。私はこの歌を聞きながら、なにか気高い世界があることを感じ取っていたことも記憶の底にあるのです。しかし、私は大きくなるにつれ、この歌が最初の記憶だということも全く忘れていました。
 高史明(コサミョン)先生、先生は親鸞聖人に深く学んだ作家の方ですが、先生があるお寺で話された時、「人は成長するにつれて自分の汚れが見えてくる。しかし、それを消すのではない。汚れを超える道がある」という言葉が聞こえてきました。私には人が生きる真実をとらえていると感じられました。
 無邪気であった私たちも、大きくなるにつれ、人の姿、そして、自分の姿が見えてきます。私たちはよい自分は受け入れ、それを誇ることさえしますが、その同じ心で、嫌な自分、駄目な自分をなくしようとし、別の自分になろうとします。受け入れもできず、消すこともできない時、行き詰まってしまいます。私自身にも自分の汚れが見え、真っ暗な心で生きていました。
 そんな時、高校2年生でしたが、どこかに光を求めて、小さい時祖母に連れられていった、暁烏敏(あけがらすはや)先生のお寺の講習会へ行きました。暁烏敏先生は親鸞聖人、清沢満之先生を生涯、師と仰がれた方です。先生は既に亡くなっておられましたが、そこに出雲路暢良(いずもじちょうりょう)先生がおられたのです。先生は真宗大谷派の僧侶であり、金沢大学の先生でした。先生は私に「一緒に学びませんか」と声をかけてくださり、月に一度、学びの場所を設けて下さったのです。初めて「生きること」の学びが始まりました。
 私も金沢大学の学生となり、先生のもとに集まる人たちと共に学びました。しかし、心は開かれません。卒業を迎え、先生から「あなたはどうしますか」と問われました。私は信国淳(のぶくにあつし)先生が中心となり、学生も教師も寝食を共にしながら学んでいる大谷専修学院を「自分の最期の学びの場」として、学ぶことになりました。
 学院では毎学期、自分が課題としていること、自分が学んだことを記し、先生方と話し合う場が設けられています。その学年末のことでした。私は「私のような自分だけのことしか考えていないような者は、この学院にいる資格はない」と語りました。それがいつわりのない心でした。その時、信国先生がふと話されたのです。
「宮森君。君は自分さえも自分から締めだすんだね。この学院はそういう君も受け容れるんだよ」と。その途端、その言葉は私のいのちに染み渡り、思わず大声で泣き出したのです。と同時に、限りのない光の世界、どんなものもそのまま受け入れ、そのまま愛する世界を感じとり、その世界こそ本当にある世界だとわかったのです。また、それまでの私は、ありのままの自分が知られるとこの世から消し去られてしまうと信じ、深く絶望して生きてきたことも教わりました。初めて生きる喜び、生きる希望が生まれてきました。そして、親鸞聖人の教えは何と深いのか、一生かけて学び続けていこうと決断した時でもありました。

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