ラジオ放送「東本願寺の時間」

河野 通成 /大分県 緑芳寺
第六回 人間を回復する場の力音声を聞く

 今日は仏教の集まりで行われる座談会について、考えてみたいと思います。
 ある青年会に参加させていただいたときのことです。座談会の折に、参加されていた二十歳くらいの女性ですが、「皆さんといろいろな問題について語り合いましたが、今まで受けてきた学校の授業は、みんなが同じ正解を求めて解いていくものばかりでした。今日は正解がないので自分の思ったことを恥ずかしがらずに正直に語れました」と感想を述べていました。またある方は「自分と違う意見を聞くことによって、ひとを尊重して、受け入れる気持ちが育つのではないかと思った。人間は誰一人として同じ人はいないし、みんな違うことが当たり前ですばらしいことなんだということを、人の考えや思いを聞くことによって知ることができました。だからひとを思いやることにつながっていくと思います。ひとを知ることによって、自分という人間をあらためて知り、見つめ直すことができると思います」と語ってくれました。ある意味で、マルかバツの答えだけで評価され決められていく場は、失敗や間違いをおそれるあまり、主体的に場に参加できない、そして自分と他人との違いが見つかることで、ひとを尊重する心が育つと教えてくれています。
 さて、室町時代の浄土真宗の僧で本願寺第八世であった蓮如上人 は、座談会を勧められています。教えについてのお話を聞くということは大切なことであるが、座談会を勧められる理由として、教えの通り正しく受け取ることができないから、いわゆる聞きっぱなしで終わってはならないからです。蓮如上人は、「教えの受け止め方がそれぞれ違っている」「自分の都合のよいように聞く」「わかったことにしてしまう」という私たちの聞き方を指摘しています。座談会は聞き方・受け止め方を点検する場であり、聞いたことを確かめる大切さを私たちに教えてくださっています。
 次に「口に出して語れば、こころの奥で思っていることも伝わり、誤りがあれば人に正してもらうこともできます」と言われています。
 一般にディスカッション(討議、議論)というのは、正しいことがあるはずである、それは私の考えであるという前提に立っているので、目的は議論に勝って私の意見が正しいことを相手に認めさせることにあります。
 ところが蓮如上人のいう座談会とは、語ること・他者の発言を聞くことを通して、自分の考えが問い直され、吟味される場だというのです。
 つまり座談は身近な問題や当たり前の世界が問い直されたり、どのような日常を生き、どのような生き方や関係性を生きているかを確かめたりする場になります。つまり「自分や他者・時代社会との出会い」の場といえます。私たちは、ともすると「間違ったことをいえばみんなに笑われる」などと思ってしまってなかなか言い出しにくいこともあります。
 ある座談会の席で女性の方が「私の話を聞いてくださってほんとうにうれしい」と述べていました。女性の言葉は、抱えている問題や愚痴を受け止めてもらえた喜びを表しています。語る人がいて聞く人がいるのではなくて、聞く人がいて受け止めてくれる人がいて初めて語ることが成り立つのです。
 私たちは誰かに自分の悲しみ、苦しみを聞いてもらいたいと願いながら、自ら内に抱え込んで淋しさを感じながら生きているのではないかと思います。しかし、それは迷惑をかけたくないという言葉が象徴するようにつながりが希薄になっていることやひとりで生きる人が増えているという時代背景もあるでしょう。座談会は、研修会という限られた場だけでなく、いつでもどこでも誰とでも場所や年齢、性別を超えて開かれる可能性を持っています。自己主張することが当然の現代社会にあって、他者の声を聞きながら、語られている言葉を通して「わたしもそうだ」「それは私のことだ」と「他者が私のあり方を映す鏡」になるという経験をすることがあります。他者の人生の上に自分の人生を重ね、悩んでいるのは私一人ではなかったとこころ開かれることが始まっていく縁になります。
 そして座談会で「よく会う方ですが、あのような人生を送ってこられたとは知らなかった」とか「そんな考え方をしていたのか」と驚いたり、うなずいたり、意見の違いを感じたりすることがあります。私たちは人間の外側だけを見て判断したり、レッテルを貼ったりすることを日常としていますが、一人一人には誰も代わることのできない歩みと重さがあることに出会っていかねばならないことを、場を通して思い知らされます。教えを聞くということ・座談の場は、語られる生活を通して、その人を知りその歩みに頭が下がり、他者を尊重していく姿勢が育まれていく場であるともいえるでしょう。あるお寺の掲示板に「人間を尊重するということは、相手の話を最後まで静かに聞くことである」という言葉が書かれてあったことが思い出されます。

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